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2010年11月14日 (日)

(続)自動車保有の有無はライフスライルを変えている

(前回からのつづきです)

自動車を所有するということは、現代人にとって大いなる自由の獲得を意味します。好きなときに、好きなところまで、他人や荷物を伴って移動できる自由を手に入れるわけです。

所有しないということは、それによって自分の生活行動がかなり制限されることを意味します。まあそれでかまわないならどんどんマイカーを捨てるべきですけれども。なにせ持っているだけでコストがかかるシロモノですから。

自動車とは保有するのはコストがかかりますが、私としてはそれを所有することで大いなる移動の自由を手にいれることに重きをおきます。

車に乗ることは個人の自由をできうるかぎり拡大させる文明の一つであり、そのような自己の生活を延長・拡大・深化させてくれる機械について、私は相当なこだわりをもって選ばざるを得ません。

私の例をひとつあげますと一時期、ラテン系、とくにフランス車に大いに関心があり、シトロエンというメーカーの車を2台ほど乗っていたことがあります。シトロエンの創業者アンドレ・シトロエンの理念は「時間をもって空間を征する」であると紹介されています。

私は、これを「時間さえかければ、あらゆる世界にまでも到達できる文明機械をつくり、フランス国民に真の自由と平等を与えよう」と解釈しました。

車は人間の行動力を飛躍的に拡大させてくれるパートナーです。こんなすばらしい機械を所有し、生活に組み込んだ生き方を私は続けたいと思っています。

私は自己破産でもしないかぎり自動車という足を、翼を失いたくはありません。趣味と実益をかねたこのアイテムがとても大好きです。自動車と過ごす文化的な生活様式を死ぬまで続けたいと思っています。自動車のないマイライフはありえません。

私が年老いて運転できなくなるその日まで。

(付記)

今回テーマは思い入れが大きくてなかなかまとまりませんでした。上記の記述もわかりにくところが多々あったかと思います。お許しくだされ。

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自動車」カテゴリの記事

コメント

>>とくにフランス車に大いに関心があり、シトロエンというメーカーの車を2台ほど乗っていたことがあります。

私は働いていた頃、プジョー406に7年ほど乗っていました。
最後はエンジンがいかれて、一瞬でご臨終でした ><
しかし、足まわりやシートが良くて、良い車だったなあ・・・
エンジンパワーはちょっともの足りなくて、最高速はともかく、
スタートダッシュでは軽にも置いていかれましたが(^^)

mushoku2006さん

プジョー406ですか。ご存知やもしれませんが、406はフェラーリと同じくピニンファリーナのデザインで美しいプロポーションをもつセダンですね。

かくゆう私も実は2台目のシトロエンを購入する際に406も比較検討していました。

フランス車は概してホイールベース(前後輪の間の寸法)が長く、サスペンションやシートの出来がよいのが特徴で、長時間の運転でも疲れないと言われます。私の体験でも事実そうであり、非常にリラックスして運転できる車です。

エンジンが壊れたということですが、406のトラブルでは珍しい方かと思います。私も同じエンジンを搭載するシトロエンにのっておりましたが6万キロで手放すまでトラブルフリーでした。

よい車との出会いは一期一会です。今現在406を手に入れようと思っても、新車はもちろん、もはや程度のよい中古を探すのも難しいやもしれません。それでは後継モデルの407やそのうちでてくる508ならどうかというと、機械的性能や信頼性は向上しているかもしれませんが、406と同じ車としての味、所有する満足感があるかというとちょっと怪しいです。

406との思い出を大事にしてください。

初めてコメントさせていただきます。いつも資産運用について参考にさせて頂いております。
今回は特に思い入れの強い内容だなあと思いました。私も車には「思い入れ」(逆の意味ですが)があります。

私は車を持っていませんし、持つつもりもありません。理由は以下の通りです。

①コストがかかる。特に都心に住んでいるため負担は大。小さな子どもがいますが、遠方に出かけるのは年に数回程度なので電車→タクシーという移動手段も抵抗はありません。
②都心では必要が無い。電車やバスを使ったほうが時間も読めるし早い。
③運転しなければならない。運転好きの人はいいと思いますが、目的地に行くのにわざわざ運転するのがめんどくさいのです。移動中、ブログや本も読めないし寝ることもできません。車で移動時間を活用するには音楽を聴くなど「耳」を使うことしかできませんので・・・

こんな感じですが、一番の理由は別にあります。
車は「意図なくして人を害する道具(ひいては殺す道具)」だからです。自分が日常生活を送る上で、自ら意図しないで人を傷つけることはそうそうありません。しかし、車は違います。自分のちょっとしたミスで傷つけることはもちろん、自分のミスが無くても「突然人が飛び出してくる」など予想のつかない事故はたくさんあります。「運転には自信があるから大丈夫」と思っている人が多いと思いますが、思わぬ事態は起きるものです。

それが、私は怖いのです。ライフスタイルどころか自分のライフ、他人のライフを大きく狂わせるものだと思います。
たとえ、刑法上は罪とならなくても、私は「人を傷つけた」という意識はずっと残ると思います。場合によっては、慰謝料などお金もかかりますし。

そういう意味で、大きなリスクファクターだと思っているのですが、車好きの人に意見を聞いたことはありません。
WATANKOさんは、どうお思いでしょうか?あまり車好きの人は考えないことなのかな・・・

長文失礼致しました。まったく反対の意見で気分を害しましたらお許しください。前から気になっていたことでしたので・・・

uzukiさん

レスありがとうございます。

都心に住んでいて電車やバスで十分代替えできる、ライフスタイル上、遠方への外出は少ない、運転がめんどくさいとのことで自動車を保有するバリューを感じないとのことですね。

そこは生活環境、ライフスタイル、運転への興味関心が私と異なるため、まあ人それぞれなのかなとしか言いようがありません。

次にuzukiさんが車を所有しない一番の理由について、自分の考えを述べたいと思います。

故意過失にかかわらず自動車が人を殺傷する道具であり、自らその主体とはなりたくないとのことですが、現代社会に住んでいる以上、裏を返せば他人が運転する自動車に自分が殺傷されるリスクに、自分が常にさらされているという実態があります。

今やたいていの国で暮らしていれば、自動車に殺傷されるリスクというのは大なり小なりあります。そんな中、リスクから完全に逃げられないのであれば、そのリターン(利便)を享受した方がリーズナブルではいかと私は思います。

勿論、利便を得るためにとるリスク(事故の危険)をミニマイズするために安全確認や法令順守、ナビゲーション、天候把握、体調管理などに最大限注意することはいうまでもありません。安全運転に対して最大限の義務を払うことは大前提です。

またひとつ質問ですが、例えばuzukiさんタクシーに乗って目的地に向かう途中、そのタクシーの運転手が誤って他人を殺傷してしまったとしたらどうでしょう。uzukiさんがタクシーに乗ってとある目的地に向かわなければ殺傷は起きなかったかもしれません。そんな時、運転していたのは自分ではないからuzukiさんは自責の念にかられることは全くないのでしょうか?もしuzukiさんが抱く恐れを完全に排除するためには、自己の運手の有無にかかわらずプライベートで自動車を走らせないことが必要かもしれません。

それと補足ですが、本当の車好き(と私が認める範囲にすぎないかもしれませんが)は自分の愛車を大事にしますから、むやみやたらと乱暴、無謀な運転はしないものです。

成金?が金に物言わせて高級車を手にいれ、高速道路や一般道路をブっとばしているのを見かけますが、あれば車好きではなくて、だだの見栄っ張りで幼稚な精神しか持ちえない年をとった「子供」だと思います。

私は道端を歩いているuzukiさんのような人を決して傷つけたりしないように、いつも安全運転を心がけています。

私のつまらない質問に丁寧にお答えいただきありがとうございます。WATANKOさんのお考え、よく分かりました。

>リスクから完全に逃げられないのであれば、そのリターン(利便)を享受した方がリーズナブルではいかと私は思います。

この点共感できつつも、自分との考えの相違を感じる点もありました。私の中では「殺傷されるリスク」と「殺傷するリスク」は全く別物として考えています。

「殺傷されるリスク」ですが、車社会から享受できるメリットは非常に大なので、しょうがないと思っています。というか、タクシーや人の運転で移動するのは、楽チンで大好きですし、ネット通販など車にはとても助けられています。「殺傷されるリスク」はほとんど誰しも変わりませんし、たとえWATANKOさんに轢かれても(ブラックジョークですいません)、恨みはしますが仕方のないことだと思います。現代社会から逃れて、非文明社会に行くこともできませんし。

一方「殺傷するリスク」は運転をしなければ避けられるものだと私は思っています。タクシーに同乗した場合についてご質問いただきましたが、私の中では友人など他人が運転する車、電車やバス、飛行機に乗っている時と同じで、その事故の原因と責任は基本的には「運転手」にあると思っています。「タクシーは自分がその目的地にいかなければ起きなかったかもしれないが、電車は自分が乗っていなくても事故は起きていた」と考えることもできますが、自分の中では両者の差は全くありません。ですので、仮に事故が起きても自分を責める程度は非常に少ないでしょう。法律的にも罰せられることは、ほぼ無いのはないでしょうか。

成金のように車をかっとばさなくても、安全運転を心がけていても、事故は起きるときには起きるので、「だったら運転しない」というのが私の結論です。

資産運用同様、生活の上でもリスクを最大限に減らしリターンを最大限に上げたいと私は思っていますので、「運転するリスク」を排除し「車社会のメリット」を享受することが私の理想です。

「ナイトライダー」みたいに勝手に運転してくれる車がでたらいいのになあ、と夢想している私です。(年がばれますね^^)

uzukiさん

私のレスは殺傷するリスクについての考えを示さずに、その最小限化ばかり言及していましたね。

そのへんを明確にされたレスありがとうございました。

uzukiさんの志向に沿っていえば、自動車が全自動化運転される時代が来るとよいですね。

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