父との思い出の土地
先日、隣の市に住む母方の叔父がひょっこり訪ねてきました。父の命日が近いから線香をあげに来たとのことです...。
WATANKOの父は桜の咲く季節に亡くなりました。来月初旬には父の命日を迎えます。今年は7回忌にあたるので、家族だけですが簡単な法事を行う予定です。
以前から話しているとおり、WATANKOは父から引き継いだ土地・建物を管理・活用する仕事を副業(半ば家業)としています。
世の中には土地なんか売却して、さっさといっぺんに利益を獲得した方がいいという見方もあります。たしかに苦労とリスクを背負い込みながら土地を活用して細く長く得た利益の合計よりも、ひょっとしたら売却益の方が高いかもしれません。苦労とリスクをお金に換算して差し引けば、その可能性は一層高くなるかもしれません。
しかし私が引き継いだ土地はほとんどが元・田畑であり、どれもが親の傍らで私自身が幼い頃から触れてきた土地ばかりです。農家であった父母が働く姿を一人息子の私に見せ続けてきた場所ばかりです。
*幼い頃、父母が田圃で農作業をする傍らで、幼い一人っ子の私は自然を相手に一人遊んで過ごしていました。
*また別の土地は広場だったので子供の頃から従兄弟と一緒によく遊んでいました。
*川沿いの田圃は、台風のシーズンになると川が氾濫して置いてある発動機(田圃に水をひくポンプを動かす動力)が水浸しになるおそれがあります。そのため高校生の頃、父に何度か夜中に起こされて台風の雨の中、父と一緒に発動機を移動させたりした記憶があります。
*スリ針の底のような谷底みたいな場所にある田圃は、私が高校生なってから30歳過ぎくらいまで、毎秋、父が稲刈り機で刈り取り袋詰めした稲籾袋(1袋20キロ以上)を担いで土手の坂道を上り軽トラに積み込んでいました。(この田圃だけで30~40袋あり、体力が一番あった年頃ですがこれはしんどかったです)
*父が農業をやめる直前までお米や作物を続けていた最後の田圃と畑。私も結婚後、稲籾袋を運んだり、時には稲刈りもしたりして妻に農家の仕事をみせたこともありました。(そういえば指を鎌で結構ざっくり切って怪我しまったこともあったなあ)
*また上記にあげたそれぞれの田畑を区画整理、土地造成して活用する計画も父が区画整理組合の理事の一人となって周辺の地権者と協同で粘り強くすすめてきたものです。農閑期になると自宅にしょっちゅう来客があり、夜遅くまで父が打ち合わせしていた記憶があります。
こうしてWATANKO家の土地は父だけでなく、私自身も幼いころから今までの記憶と体験を持つところばかりです。
こういう想いが詰まった土地をおいそれと手放すことについては、やはり抵抗を感じます。父がやり残した土地活用の課題(未活用の土地を賃貸事業に供する)を私がやり遂げて、子供たちに引き継ぎたいと考えています。
ただ子供たちに引き渡した後、彼らがその後の人生において、やむを得ない事情により、まとまった資金が必要になったときには売却するのはかまわないと考えています。彼らに対してそこまで縛り付けることができません。土地に対して私が持っているような想いは彼らにはないでしょうし、また土地があるからといって今の街に住み続けることに縛られるのもよくないと考えています。
また今年も父の命日を迎えたら、墓前では、家族の成長の他に、父が残した土地のその後の活用についてそっと報告する予定です。
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