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2011年5月30日 (月)

2011年5月積立購入商品

さて今月の投信の積立購入の内訳です。
お値段(購入単価)は如何であったか?

Notes)表中の金額単位は円です。

201105301

既報ですが、WATANAKOの積み立て投資の原資の8割方を占める不動産賃料収入先の中の一番大きな取引先T社からの収入が4月分から途絶えており、今後の賃貸契約継続についてT社と協議中であるため、5月から投信積立額をミニマム化しました。

セゾン・グローバル・バランス・ファンドだけでは手続きの都合で6月分まで25千円/月、7月分から10千円/月となります。

株安や円高は継続しているので、これまでどおり安値の仕込みをしたいところなのですがしばらくそうもいきません。

T社との決着内容、それから新規アパートのスケジュール見直しによる自己資金準備スケジュールの見極めがつくまでは、しばらくはキャッシュ貯めです。

2011年5月28日 (土)

店子の退去 最終章 エピローグ

これまでブログでは取り上げた3軒の店子以前にも、結婚を機会に家を建て、出ていった30半ばの若者?や、家賃がいつも滞納気味で散々こちらを困らせたあげく、最後は県内に住むという娘のもとに身をよせるということで出ていった50代のおばさん(退去日に至ってまで滞納賃料を値切ってきた)などの退去エピソードが他にもありました。

すぐ隣に住む叔母からの話や、私自身の過去の記憶をたどってみると、そういえばうちの戸建て賃借屋には昔からトンデモ店子が多かったように思えます。父はその管理にさぞや手を焼いたことでしょう。個人で不動産賃貸業のリスクをどっぷりカブッていたわけです。(この辺りの過去エピソードをあげるときりがないので割愛しますが)

人間いろいろ、賃貸もいろいろです。

建築申請記録によると昭和45年に建てた築40年の戸建て賃借屋物件はこれですべて空き家となりました。

父が不安定、不十分な農業収入を補完するために始めた事業ポートフォリオのひとつが今終わりました。(大げさですね)

しばらく休眠土地として、いろいろなことを考慮しながらも、新規アパート建築としての再利用をしていきたいと思います。

キャッシュを生む土地としての再活用がスタートすれば、やがて私の死後は子供たちに引き継がれるでしょう。

でも子供たちが引き継いだあとは、この土地は売却処分してもかまわないと思っています。

私にとってこの戸建て物件が建っている土地は、40年前に賃借屋を建てた時から、ともに年月を重ねてきた場所ですが、子供たちにはそういった想い入れはありませんし、私の思い出を守り続けてほしいなどと引継書にも書き残すつもりもありません。

それに数十年後の日本人にとっては、固有の土地にしがみつくという生き方が、今よりも遙かに希薄になっているかもしれません。

そんな時、この土地に縛られた生き方にどれだけ魅力があるのか?今の私には計り知れませんが、今現在よりも魅力が大きくなっているとはとうてい思えません。

父が建てて、始めた戸建て賃貸ビジネスよ、さようなら、です。

2011年5月26日 (木)

店子の退去 最終章⑦

(前回からのつづきです)

長い話もようやくゴールに到達しました。

が、ここにきてSさんの非常識な行動にもう私はあきれ返ってしまいました。

引っ越し当日のことです。

Sさん宅に来た引っ越し業者の作業が早く済んだため、Sさんは私と約束していた退去立ち会い時間よりも前に、私に連絡もなしに出発していきました。おかげで私がSさん宅に来た時には既にもぬけのカラ状態です。

さらにはSさんの賃借屋の前には引っ越しにあたって廃棄していった物品が大量においてありました。その分量は通常よく使われるような自治体指定のごみ袋30袋分相当。そのうち約3分の1はごみ袋にも入っておらずむき出し状態

こんな引っ越しあるかよ!と怒り心頭で、以前聞いておいた引っ越し先住所へ、愛車をアクセル全開し直行して、新居にて搬入作業をするSさんと会いました。

Sさんいわく、グジグジ以下言い訳、それに対し私が常識の線から反論、するとSさんは今度は反抗的な態度に...

→詳しい内容は一度記事にしたのですが、自分のブログの品位を落としそうなほど惨いので以降中略します...。(まあ、それほど品格の高いブログではありませんが)

結局もうこれ以上話をしても実りはないと思い、Sさんとのやり取りを打ち切って、引き上げました。ちなみに一緒に引っ越し作業をしていたSさんの娘とおぼしき人物も私とSさんとの会話には終始ノータッチでした。

帰り道、退去の時にSさんへ渡そうと思い、準備してバックに入れておいたささやかながらの餞別を入れた封筒をクシャクチャに握りしめながら帰途につきました。

その後、Sさんに賃借していた戸建てにもどり、外の捨ててあった廃棄物をとりあえず家の中にしまいました。これから少しずつ廃棄していくしかありません。

それにしてもSさんは住んでいた戸建ての室内はすごい状態でした。居間はゴキブリか何かの糞だらけ、ゴキブリの死骸もちらほら。台所や風呂、トイレは黒いカビだらけ。よくもこんな住居に長年すんでいたものです。

こうしてSさんの引っ越しは、最後は大変後味が悪いものとなりました。WATANKOはこの退去のあと丸一日くらいは人間不信に陥ったくらいです。

まあそんなSさんだからこそ、退去してもらい、私にとってはよかったのかもしれません。

これで次の引っ越し先がSさんにとって終の住処になるかどうかわかりませんが、少なくとも私の賃貸戸建てはそうとはなりませんでした。

こうして私が父から引き継いだ5軒の戸建て賃貸は、その店子がすべて退去しました。

念のため、夜になってから点検にいくと、当たり前ですが敷地内の戸建ては全て空き家で真っ暗です。

数十年前、店子が沢山いて、私も子供の頃でしたので、敷地内で遊んでいたりと、馴染みのある土地でしたが、住む人が誰もいなくなるとまるで墓場のような場所に変わってしまいました。

(つづく 次回で完結です)

2011年5月24日 (火)

店子の退去 最終章⑥

(前回からの続きです)

振り出しに戻ったSさんの引っ越し先探し。

市役所の担当者、Sさん、私の3者で再度話し合った日の午後、担当者から隣市に住むというSさんの娘(仮にSDさんとします)に電話してもらい、これまでの経緯とSさんが今おかれている状況、引っ越し先探しの手伝いをしてほしい旨の連絡を伝えてもらいました。

私は同日夕方、担当者とSDさんのやりとり内容のフィードバックを担当者から電話で聞きました。

担当者によると、これまでSDさんはSさんから引っ越しにまつわる状況をほとんど聞かされていなかったらしく、Sさんが6月末までに、生活保護受給条件にあった新しい引っ越し先を探さなければならないという逼迫した様子であることをSDさんは理解したとのことです。

さっそく翌日、午前中から隣市からSDさんがSさん宅にやってきて二人で市内及びSDさんが住んでいる隣市も視野に入れながら、不動産業者を廻って物件探しをしますとのこと。

その動きの早さを聞いて、私もひと安心しました。あとはうまく物件が見つかるかどうかが問題です。

私はSDさんがSさんと物件探しをする前日夜、これまでの経緯から生活保護受給者の物件探しにおける制約条件、これまで掴んだ市内の空き物件動向、不動産業者/Sさん/市役所との手続きの流れなどを書き留めたメモA4 2枚を作りました。

このメモを当日朝Sさんに渡して、SDさんと物件探しにいくにあたり、メモをSDさんにも読んでもらって参考として、少しでも円滑な物件探しをしてくださいとお願いしました。

そのあとは条件に合致する物件が見つかることを時折、祈るだけでした。

ところが、なんとSさんがSDさんと物件探しをした第一日目の夜、Sさんから電話があり、条件に合致した物件を見つけることができたとの連絡を受けました。

どうやらSDさんがSさんに代わって、市内の不動産業者を精力的に廻って、物件を探してきたようです。聞けばSさんの希望通り二間があり、1階部屋のアパートです。築20年というから、大きなトラブルがなければあと15年くらいは住めるでしょうし、建築時期からみて新耐震基準もクリア?していることでしょう。

正直言って、物件探しは相当難航し、特に賃料が条件に見合うとなると、辺鄙な場所でもやむをえないかと想像していました。ところが住所を聞くと、E社が紹介した物件からわりと近くの物件でありやや拍子抜けでした。

しかしまだ100%安心はできません。Sさんに対しては、正式契約にこぎ着けるまでは完全に安心はできませんよ、引き続きSDさんの協力を得ながら、最短最速で契約手続き完了までこぎ着けてくださいと念押ししました。

やがて2週間たったGW半ばにSさんを訪ねて様子を聞くと、契約手続きは無事完了、引っ越し業者のアレンジも市役所の指定通り完了、引っ越し当日はSDさんも手伝いに来てくれるとのこと。

最初にSさんを市役所につれていき、1件目の物件を決めた日から1ヶ月。一度は物件確保が白紙に戻り、どうなることかと思いきや、実の娘という強力なサポートを得て一気に解決へと至りました。

余談ですが、最初に確保しそこねた物件を紹介した不動産業者E社の話によると、東日本大震災で住むところをなくした被災者が、私が住む南関東エリアまで、物件探しに流れてきているとのことです。

事態が事態だけにとにかく安い物件を探す人たちばかりで、中には六畳一間に五人暮らしというケースもあったそうです。まあとりあえずの仮住まいでしょうが。

そんなわけで三月は通常の引っ越しシーズンの忙しさに加えて、震災被災者の物件需要が重なり、不動産業者はどこも繁忙を極めたとのことです。

Sさんの物件探しにおいても、そんな事情が影響してくるかもしれないことを予想すると、予算内の物件を確保すること自体ができたとしても、賃料以外の条件をどれだけ我慢しなければならないか不安がありました。

そんな中、SDさんの努力の甲斐あってか、転居先が無事決まって本当によかったです。

それから2週間後の5月下旬の土曜日、Sさんは退去していきましたが、実は退去時にもひと悶着ありました。

それは私のSさんへの少しばかり残っていた思いやりも木端微塵になるほどの出来事でした。

(つづく)

2011年5月22日 (日)

店子の退去 最終章⑤

(前回からの続きです)

Sさんの引っ越し先を決めてから1週間後、契約手続きは進んでいるかな?引っ越し業者からの見積は揃ったかな?とほんの少し心配になってSさんを訪ねてみると、案の定、ここ1週間全く何もやっていなかった様子。

さらに4日後に訪ねると、娘が明日やってきて契約書の保証人記載事項に書き込みをしてくれるとのこと。でもそれ以外はやっぱり何もやっていない。

体調がすぐれなかったとか、遠くにあるスーパー銭湯に行っていたなどと言い訳をしてきたので、自分の引っ越しという一大事についてもっと真剣に自らが取り組んでほしいと軽く説教し、その場で私が電話帳のコピーを見ながら引っ越し業者3社とアポを取り翌日に見積もりに来てもらうよう段取りつけました。

その翌日のことです。

せっかく決めたSさんの引っ越し先が他の人にとられてしまった連絡を不動産業者E社から聞いて、私は卒倒しそうになりました。

業者いわく「その後、Sさんから1週間以上経っても入居申し込み書が送られず、連絡もないため、他の入居検討者に紹介したところ、その人との契約が先に決まりました。」とのこと。

「せめて他の見学者が来て同時検討中となったら、その時点で一報くらいよこせよ。」とクレームをつけて、半ば電話をたたき切り、Sさん宅に直行しました。

あとで冷静に考えれば、不動産業者としては別にSさんに優先付けをする義務はなく、先に決めてくれる、良い条件で決めてくれる申込者を優先するのは当たり前です。でもいきなりちゃぶ台をひっくり返されて、つい口走ってしまいました。ちょっと反省。

ともかくもSさんを訪問し、物件が他の人にとられてしまったことを知らせました。とりあえず来るはずであった引っ越し業者のアポをキャンセルし、ふたたび市役所の担当者に連絡。担当者もやや仰天した様子で、Sさんをつれて市役所に来れますか?とのことなので、またまたSさんを愛車に乗せて市役所の社会福祉課にアクセル全開で向かいました。

担当者、Sさん、私の3者で確認したところ、つまる話、Sさんが入居申込書の作成、提出をのそくさ遅らせていたばかりに今回の事態を招いたという理解で一致しました。

担当者も今度ばかりはかなりきつい説教をSさんに行いました。自分の今後の生活の基盤に関わる大事なことに、一生懸命取り組まなくてどうするんですか?と。

Sさんはさすがに今度ばかりは反省したものの、こうなった以上、もう私はホームレスになるからいいんです。すみません。TVなんかでもでているじゃないですか、女性のホームレスとか...と自虐的なことを言い出す始末。

これには私もカッとなり、「我々はあなたをホームレスななんかにするためにこうして労をかけているわけじゃあない。あなたはまわりに甘えてばかりいる。高齢だし、持病も抱えているのだから周囲に頼るのも仕方がないことではあるけれど、だからといってあなたが自分で最低限なすべきことをさぼってよいわけではない。」

「ホームレスの生活がどれだけ悲惨が知っているのか?一度ホームレスになれば二度と家は借りられない。いろいろな公的援助も途絶える。夏の暑さや冬の寒さをしのぐ軒下すらもなく、コンビ二の廃棄弁当をこっそり恵んでもらったり、野良猫・野良犬のようにゴミ袋をあさるような生活だ。それでもいいのか?」

私の強い口調をうけて、Sさんもホームレス発言は行き過ぎたことを反省し、再度物件探しをすることを担当者と私に誓いました。

しかしながら、今回の大ポカをうけて、さすがに私はもうこれ以上協力する気にはなれません。そして担当者も私も、Sさんが自分一人で物件探しをするといっても、能力的に無理だろうと強く感じていました。

やはり誰かSさんのサポーターが必要です。そこで担当者と相談の結果、逃した物件で保証人になってくれる予定であったSさんの娘さんの協力を得られないかコンタクトしてみるということになりました。

Sさんいわく、「娘は最近子供を産んだばかりで世話が大変だし、頼るのはなんだか気の毒なんです。」

そこで私が思わず一言。

「Sさんよ、完璧にアナタずれているよ。我々他人にこれだけ世話をかけさせておいて、娘という肉親に迷惑をかけるのを遠慮するのは順番が違う話でしょうが!」

ちょっときついけど、言わずにはいられませんでした。担当者も目で同意。

Sさんの娘さんに電話しようとする担当者に対して、私はこれまでの経緯詳細と、ああは言ったものの6月末までに引っ越し先決定の有無にかかわらず、住居からは必ず退去してもらう。引っ越し先が無い場合、Sさんは本当にホームレスになりますよという緊迫度を娘さんにしっかりと伝えてほしいとお願いしました。

(つづく)

2011年5月20日 (金)

店子の退去 最終章④

(前回からの続きです)

市役所を飛び出したSさんと私は、すぐ近くの駅前にある不動産業者K社に突撃。物件を探して2件紹介されるもどちらも、生活保護受給条件を4,000円ほどオーバーする物件。ネゴもかなわず退散。

こりゃ、市内の業者全部廻らないとあかんかなと半ば覚悟を決めて、1件目の近くにあった2件目の不動産業者E社に突入。

ところが思わぬことに、こちらの事情(生活保護受給者で物件賃料に上限あり)を伝えたところ、なんど上限額+800円の物件あり、業者いわく家主にお願いして800円カットくらいならできますよとのこと。

早速、不動産業者の車に乗ってSさんと物件の下見に向かいました。Sさんの希望する二間あり、1階部屋、エアコン一台付き、トイレは水洗、掃きだし窓の先にはコンクリートの庭があり洗濯物を干すのに便利、買い物はすぐそばにミニスーパー、少しあるけばイトーヨーカドーがあるじゃあないですか!

これが生活保護の指定賃料上限額内に収まるとはまさに掘り出しものと思いました。

実をいうとこの部屋、いわゆるワケあり物件です。前の住居者が一人暮らしで病死したというワケあり。でもそのおかけで賃料は、同じアパートの隣の部屋よりも1万円も安くなっていたわけでした。家主としてはワケありなので、安くしてもとりあえず早く入居者がついてくれることを優先していたという事情があります。

私からもSさんに、「予算内でこれ以上の物件は見つかりませんよ。ここにしませんか。」と推奨し、当人も気に入った様子。

ワケありといっても自殺とか殺人とか殺傷沙汰ではないですし、Sさんもワケありについては了承していました。(ホントにわかっているのかなと若干疑問でしたが)

相場よりも1万円も安い物件を2件目の不動産業者でタイミングよく見つけることができてよかったです。難航を極めそうかなあと覚悟していた物件探しも合計2時間足らずでひとまず終了でした。

帰り際に、市役所に提出用の見積書と、不動産業者に提出する入居申込書用紙をもらい、後者についてはできるだけ早く提出してくださいとの説明を受けました。保証人には隣市に住む嫁いだ娘がなってくれそうとのことなので、これについてもひと安心。

手続きが順調にいけば5月1日から入居できますとのこと。

Sさんと私は、その足で市役所に舞い戻り、担当者に再度面談して、物件の見積書を提出しながら、経緯を説明。引っ越し先探しが即日トントン拍子に片づいて担当者も私もよかったと胸をなで下ろしました。

Sさんを自宅に送り、市内の引っ越し業者を記載した電話帳のコピーを渡しました。3社分の見積もりを取ること。それと保証人になる娘さんに必要箇所を記入してもらい、なるべくはやく不動産業者に提出することを強く念押ししてその日は帰りました。

ほぼ1日がかりのこの騒動の一部始終を妻に話し、思いのほか、良い転居先が見つかってSさんにとってもよかったよかった。こちらも当初想定していた引っ越し支援費用(敷金、礼金、引っ越し費用など)がかからずよかったよかったと万々歳でした。

ところが!

それからほぼ2週間後、不動産業者E社から電話があり、「その後契約はどうされたのですか?あの物件は他の人に決まりましたよ。」と唐突な連絡。

なんじゃ、そりゃあ!!!!!!!

(つづく)

2011年5月18日 (水)

店子の退去 最終章③

(前回からのつづきです)

大震災発生の翌々日、Sさんの家にいき被害状況を確認すると、

1.玄関まわりのブロック塀が倒壊。
2.家につなぎ込んである水道管の屋外部分が破損して、水漏れ発生。(何度か業者に来てもらい修繕済み)
3.掃き出し窓のサッシが歪んで開かなくなってしまった。

と、この程度で済み、家屋が傾くような深刻な損壊までには至らず、ほっとしました。

とはいえ、やはりこの物件、安全性の点から早く退去すべきであると強く思い、「Sさん、この地震でさぞや怖い思いをしたでしょう。余震含めた大地震が次にいつくるかわかりませんよ。やはり早く引っ越ししましょう。」と強く勧めました。

でもSさんの反応は相変わらず今いち。のんびり調です。「地震は怖かったけど、サッシが開かないのは困るから、自費をかけてでも直します。」・・・ともうすぐ退去してもらうつもりの物件を修繕すると言い出す始末。

こりゃあ事の深刻さと、退去の必要性が永遠に理解できそうもない。誰かがもっともっとSさんをリードして引っ越し実現までこぎ着けないと、この件は全く進まない様相がこれでますますはっきりしてきました。

そこで、4月中旬、Sさんを訪ねて、やはり引っ越しの段取りが1センチも進んでいないことがわかると、その場で、市役所の社会福祉課の担当者に、私から直接電話連絡しました。

というのも、Sさんの引っ越し問題について市役所がどの程度関与・支援してくれるのか、Sさんからの説明では曖昧でよくわからなかったからです。

そこで市役所の社会福祉課の担当者、Sさん、私の3名で今後について協議しようと決まり(というより、私が担当者にかけあって急遽セットした)、Sさんを車にのせて市役所にアクセル全開で向かいました。

市役所の社会福祉課に到着し、3者での話し合いを行いました。

担当者の説明は以下のとおり

1.Sさんは私から1年以上前から現住居の賃貸契約は更新しない(引っ越しが必要)旨をWATANKOから伝えられていることを、担当者に相談してきていた。担当者としては築40年の物件で老朽化が著しいことから、私の提示内容の妥当性は理解していた。

2.そこで担当者はSさんに今後どうしたいのか?どういうアクションをとろうとしているのか、ぶっちゃけ次の引っ越し先を探す行動を起こさないといけませんよと促すも「はあ、そうですねえ、探さないといけませんねえ。」と当人の逼迫感はゼロ。

3.市役所としては、あくまでSさんの自律的な意志のもとに行動を起こす場合において、相談に乗り、問題解決に向けたアドバイスを行い、規定に則り経済的な支援を行うというスタンス。つまりSさん自身が、自分が抱える問題に主体的に対処することが必要であり、市役所はSさんの問題解決を代理執行するわけではないとのこと。

したがいアパート探しも市内のどこに不動産業者がいるのか教えることはできても、どこにいくかを決めて、行動に移すのはSさん自身の行動力に委ねられているとのこと。

そうはいっても市役所としても、ちょうど私と同様、Sさんの転居問題について心配はしていました。しかし度々、引っ越し先は探していますか?と定期的に聞いてみても上述のとおり、はっきりしない回答ばかりとのことだった。

繰り返しますが、市役所はあくまで生活保護制度に則ったサポートまでであり、当人が主体的に行動し、制度利用を申請する形でないと物事がすすまないというわけです。(よく考えずとも当たり前の話ですが)

ちなみに、生活保護を受けている人の場合、入居物件・引っ越しについて以下の制約・支援があることも判明しました。

(1)賃料は上限あり。オーバー分を自己負担するといっても、賃料の上限を越える物件に住むことはそもそも認められない。(ちなみに共益費や火災保険料などは自己負担なので制約なし)

(2)敷金、礼金も全額を市が負担してくれるとのこと。

(3)同様に引っ越し費用も同様に負担してくれるが、3社分の相見積もりを集めること。市が最安値先に決める模様。

(4)生活保護受給上の理由により、契約の事務手続きに関しては途中から、市役所と不動産業者とのやりとりに移行する。

もうこうなったら関わり始めた勢いで、WATANKOがSさんを引きずり廻しながら直ちに物件探しにいきますと、市役所の担当者に告げて行動を開始しました。

(つづく)

2011年5月16日 (月)

店子の退去 最終章②

(前回からの続きです)

Sさんの退去にあたっては、そもそも契約満了の2011年6月末の1年3ヶ月前の昨年3月に文書及び口頭で、建物老朽化を主因にSさんに次回の契約更新をしない旨を伝えてあります。

その時Sさんは私からの説明に納得をして、「大家さんに迷惑をかける訳にはいきません、引っ越し先をみつけて期限までに必ず退去します。」と約束してくれました。

お互いの父親の代からの長いつきあいもあるし、私からは少しでも支援をと思い、退去月が6月を待たずに引っ越し先が前広に決まって退去してくれるなら、条件として、いろいろと物要りでしょうし、2~3ヶ月分の家賃は免除するし、引っ越し代も負担しますよと金銭的なサポートを伝えました。
(早期に確実に引っ越してもらうためのインセンティブとして提示)

それから数ヶ月おきに、このSさんを訪ねては「引っ越し先は探していますか?見つかりそうですか?探すのに困っているなら物件情報を集めてきましょうか?」と何度も進捗確認をしてきました。

その度ごとにSさんの反応は、「探していますが、体調の優れない日もあるし、なかなか...この辺なら知っている土地なので、近所で物件があればよいのですが...なかなか引っ越し先を探すのも大変ですね...」とのらりくらりな回答。
(怠慢や悪意があるというより、のんびりと構えている印象です)

その他には亡くなった父の知り合いや、嫁いだ娘が隣市にいるとか、毎月遠くの病院まで通っているとか、引っ越しとは無関係な話の繰り返しばかりです。

生活保護を受けているとのことなので、市役所の担当課のところに行き、物件紹介なども含めて相談に行ってくださいと促しても、市役所は何もやってくれないとの回答(ほんとに切実に相談、お願いに行ったのかなあと疑念ありあり)

どうやらこのSさん、今の居住からの引っ越しの段取りと実行を自分一人で進めることは至難ではなかろうかと思い、WATANKOがまるで息子がごとくサポートしないと全然物事が進まないなあと思うようになりました。

やがて同じ敷地内で、以前ブログ記事で取りあげた40歳代の二ート息子を抱えるおばあさんの退去問題が2010年末に片づくと、ようやく2011年年明けから、この最後の店子、Sさんの退去支援に本腰を入れはじめました。

知り合いのアパート業者に物件情報の収集をお願いするとともに、Sさんを訪問する頻度を増やし、転居先物件の条件などを具体的に聞き出しはじめました。

そんな中、3月11日、大震災が発生したわけです。

(つづく)

2011年5月14日 (土)

店子の退去 最終章①

WATANKOは父の死後、譲り受けた不動産資産として戸建ての賃貸物件5軒があります。その戸建て賃貸物件5軒ですが、築年数が40年となり大変古く、設備仕様や安全性が現在の賃貸物件として不適格となったこと並びに個別の賃貸管理が面倒であったりすることなどを理由に、この戸建て5軒の賃貸業はやめることにしています。

ブログを開始した時点で5軒のうち、既に2軒が退去し、残りは3軒。そのうち1軒目と2軒目は以前ブログ記事で取りあげたことがあります。

【関連記事】

<1軒目:30代フリーター、交通事故をきっかけに仕事を失い10か月滞納後、退去>

店子の退去-①家賃未払い発生

店子の退去-②退去日をむかえて

店子の退去-③店子を振り返って

店子の退去-④賃借者経営やめます


<2軒目:1件目の30代フリーターの母親。1件目フリーターの兄、ただしニートと二人暮らし>

店子の退去-第2章 母親編①

店子の退去 第2章 母親編②

店子の退去 第2章 母親編③

そして今回は、残る最後の3件目について取りあげます。

ちなみに、自分自身でも想定外の長文内容になりましたので、6~7回に分けて投稿します。この手のテーマにあまり興味の無い方はすみませんが、スキップください。

さて、その最後の店子、仮にSさんとしておきます。Sさんは生活保護を受けている60歳代前半の一人暮らしのおばあさんです。

実はSさんの両親も私の父が戸建て賃借を運営した頃、Sさんが現在住む戸建ての隣の戸建てに入居していました。私はよく子供のころ、道を歩いていていると仕事帰りのSさんのお父さんに声をかけられていた記憶があります。いつもニコニコしていたおじさんでした。

17年前に、そのお父さんが自分の老い先が短いことを悟ってか、自分が住む戸建ての隣が空くと、自分の娘であるSさんを隣に住むように呼び寄せました。そのあとほどなくしてSさんのお父さんは亡くなりました。

このようなエピソードをもつSさんであります。もらっている生活保護受給額の中からきちんと賃料は支払われています。過去1年間にて退去してもらったフリーターで失職したAさんや、ニート息子を抱えて将来の居座りリスクを抱えたAさんの母親のケースとは異なり、今現在問題なく住んでいる方です。

新規アパート計画を全く考えなければ、お父さんの代からの縁もありますし、しばらくはこのまま住み続けてもらってもいいかなあとほのぼのと考えていた時期もありました。

しかしAさんの母親の退去をいろいろと進めている中(昨年晩秋頃)新規のアパート計画を進めるという最大の動機以外にも以下の理由が浮かんできて、やはり総合的に考えるとSさんにも近々退去をしてもらうべきと考えました。

(1)築40年の安普請な戸建ては建物設備が相当老朽化しています。今60歳代前半のSさんが平均寿命である80歳代後半までのあと25年間前後、住み続けられる物件とは到底なりえません。Sさんにとって少なくともあと1度は住む場所を変えなければならない状況が見えています。

たとえばSさんが住む戸建てに、現在の価値に見合わない多額の費用をかけてリフォームしても、それは細く長く家賃に転嫁せざるをえず、Sさんの負担に跳ね返ることになります。またSさんが早くに亡くなることがあれば、こちらとしてもひょっとしたらリフォーム分の費用の未回収になるおそれもあります。

(2)居住先を変えるのであれば、できるだけ若いうち(といっても既に60歳をすぎていますが)で頭が冴えていて、体が動くうちに実行した方がSさんにとっても取り組みやすいでしょう。

仮に70歳をすぎて、さてよっこらしょと転居しようとおもっても、不動産業者をまわって物件探しをきちんとできるか?契約のやりとりに頭がついていけるか?(もし認知症の兆候があったら?)またそのくらい高齢になるとしっかりと働いている息子・娘以外には契約の連帯保証人になってくれそうな人を探すのは至難かもしれません。

ちなみに連帯保証人には一定以上の年収が求めらるケースが多い模様です。保証会社を使う手もありますが、Sさんの場合、生活保護を受けているので負担が厳しそうです。何せたまに話す機会があると「私、節約して1日500円で生活しているんです」といっているくらいですから。

(3)もしこのまま5年、10年とか住み続けて、ある時、孤独死を迎えた場合、その後処理を想像すると、いまから気が滅入ります。親戚などならともかく、ウジがわいているかもしれない赤の他人の死体を片づける心身の負担を想像してみてください。(この辺は冷徹に判断)

話が横道に逸れますが、終生賃貸住宅派という方々は自分が高齢化したときに、自分の希望通りの物件を借り続けられるかどうかというリスクについて、しっかりと事前対策をとられることをおすすめします。

ただ対策をとるといっても土地柄や契約条件、家主との関係などいろいろな要素が絡んでくるし、数十年後の住宅賃貸事情までは読み切れませんけれども。

でもおそらく人口が減り、空き家が多くなって、住む家探しには困らなくなるかもしれませんね。そうはいっても正直言って大家の一人としての意見を言わせてもらえれば、同じ条件ならば高齢者よりも、壮年以下の方に賃借したいというところです。

話をもとに戻しますが、Sさんに退去いただく理由としては、新規アパート計画が根底にありますが、上記を勘案すると、やはりSさんにはあと20年は住み続けられる別の物件に引っ越ししてもらった方が良いと判断し、今年の6月に契約が満了となるので、その時期をターゲットにして退去の交渉を前広に進めることにしました。

(つづく)

2011年5月12日 (木)

(続)FUNDS-iの売る気、野村AMのやる気

(前回からのつづき)

今度はちなみにプロモーション費用をかけないポリシー?をもつ脱力系?インデックス投信シリーズCMAMシリーズについても参考までにスタートから5か月間の売上推移を併載してみます。

201105113


201150116


スタートから5か月時点では、総資産ではFUNDS-iが872百万円ですから同程度ですね。しかしながらFUNDS-iとCMAMでは品揃えが異なります。FUNDS-iについてCMAMと同種商品(いわゆる伝統四資産)に絞り込んでみるとどうでしょう。

201105102


201105115


するとFUNDS-iの4商品の純資産の合計は、CMAMの4分の1以下であり、かなり低い水準です。CMAMにしても外国株式を除けば良い結果ともいえないレベルでありますが、FUNDS-iはさらにお話にならない純資産残高ではないでしょうか。

この半年近くの実績をみて、野村AMはこのシリーズを今後どうするつもりなのでしょうか?

テコ入れするのでしょうか?

やるとしたら、新しいアセットクラスの新商品やFOFを追加投入する?

...そんなことよりも信託報酬を引き下げる方が遙かに効果が大きいと思います。

CMAMと同じ水準?いえいえもはやCMAMより安い水準まで下げないと、インデックス個人投資家にいよいよ忘れ去られてしまう存在になってしまうのではないでしょうか?

たとえば伝統的四資産だけでも確定拠出金型投信並の0.2%半ばにまで一気に引き下げたら、どうなるか?

私なら日本株式に関しては、同レベルの信託報酬であるニッセイ日経225インデックスを結構積み立てているので迷うかもしれませんが、先進国株式と先進国債券クラスについては、迷わずCMAMシリーズから乗り換えます。

聡明なインデックス個人投資家の皆さんも第1~2期の運用報告書でベンチマークとの乖離率やトータルコストを確認したのち、安価で成績も問題なしとなれば乗り換えるかもしれません。

もしコストについて、今後引き下げをしないのであれば、既存のインデックス個人投資家のみなさんからみれば、私同様、既に積み立ててあるSTAMやeMAXISから乗り換えるメリットは感じないでしょう。ましてやもっと安いCMAMもあるので尚更です。

こうして野晒しのインデックスファンドシリーズとなり、純資産も延びないまま、インデックス個人投資家からほとんど忘れ去られるかもしれません。(既に忘れ去られている?)

こうした野村のお粗末な商品企画と販促をみた他社にとっても、市場が狭く?儲からないインデックス投資信託分野への新商品展開による参入にネガティブになることでしょう。

そしてそれはインデックス個人投資家にとって総体として良い話ではないとWATANAKOは考えます。

だから野村AMさん、きついこと言わせてもらいますが、信託報酬下げないのなら、さっさと撤退してください。他社が参入検討するにあたっての失敗事例としてズルズル残っていると迷惑なんです。

撤退するのはいつも得意でしょう?野村さんは。

2011年5月11日 (水)

FUNDS-iの売る気、野村AMのやる気

野村AMがSTAMやeMAXISの伸長をみてn+1匹目のドジョウをねらったのか、大手としての同等商品を揃えたいというプライドか、はたまた金融機関の単なる横並び意識の現れか、それともネタが尽きた商品企画担当による企画ノルマ達成のための単なる他社のパクリなのか、発端はわかりませんし、どうでもよいですが(なら書くなよ)、昨年11月から発売開始されたFUND-iシリーズの売れ行きはどうでしょうか?

【関連記事】

柳の下のn+1匹目のドジョウ-野村インデックスファンド(Funds-i) シリーズ設定

では2010年11月から2011年3月までの五か月間の売れっぷりを見てみましょう。

(Notes)
◆データは「投信まとなび」から抽出しました。
◆金額単位は百万円です。
◆グラフの純資産額は累計値です。

201105101


201105114


STAMやeMAXISにはない商品であり、新味のある新興国債券(ヘッジ有り)の売上だけは最初話題となったせいか売れましたが、その後は横ばいです。その他の商品もお世辞にも売上順調とはいえませんね。

FUNDS-iの信託報酬はSTAMやeMAXISシリーズを相当意識して、それらシリーズと同等です。(正確にいうと先進国REITは最安値ですが)品揃えも新興国債券(ヘッジ有り)という独自商品も加えて、10商品揃えました。

でもWATANKOからみると、ほとんど全くと言っていいほど魅力がありません。信託報酬はもっと安いCMAMシリーズを積み立て購入していますし、CMAMにないアセットクラスについては引き続きSTAMやeMAXISシリーズを従前どおり購入しています。だってFUNDS-iは信託報酬がSTAMやeMAXISと同じで安くないんだもの。乗り変える意味ないでしょう。

(つづく)

2011年5月 8日 (日)

投資信託の印象

WATANAKOは投資信託という金融商品については3年と少し前までは、その内容を全く知りませんでした。インデックス投資という資産運用方法に出会ったのと同時に、この商品を知るようになりました。

資産運用に興味はないけれど、せっかく貯めたキャッシュ。インフレの気配なんか微塵もないけど、リスクそこそこで3~5%程度の利回りを得たいなあ。そうして増やした銭なら、老後の生活資金とは別に、趣味に浪費しても自分自身とカミさんに言い訳がたつかも...。などと蓄財+煩悩をセットで考えていたわけです。

それでもってここ3年間あまり自分自身で投資信託を購入、保有し続けてきた印象は、投資信託とは3~5年の変動利息の定期預金に株式みたいなリスクがついたような商品かという感じです。

またリスクとリターンのバランスが、定期預金と個別株との間に位置する商品であり、定期預金の利率がここ十数年間、地を這うように低いため、運用商品として妙味が全くなく、もうちっとリスクとってもいいから、リターンが期待できる商品でも買ってみるかというときに、目が向けられる商品として投資信託が手ごろだということかもしれません。

さらには定期預金に似た点として、余裕資金をコツコツ積み立てて、長期間かけて複利効果効かせてじっくり増やそうというスタイルにはまる商品でもあるということです。

一方、世間様にとっては投資信託は定期預金や個別株にない魅力があり、これがこの商品の購入動機として突出していると思います。

その魅力、ハイ、言わずもがなですが毎月もらえる分配金です。


☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

5百万円で500万口の投資信託を一発買い。毎月の分配金は1万口あたり150円。毎月75千円の分配金をもらえてうれしいな、と。

毎月お金をもらえるというのは給与所得中心に生きてきた(生きている)人間には、とてもしっくりくるスタイルだ。無駄遣いしない。毎月少しずつお金をもらって暮らしの足しにする。そういう堅実な金銭感覚(と自覚している?)私には、この毎月分配型投信が本当にしっくりくる。

投資の非効率さとか、販売手数料や信託報酬の高さなんかよりも結果(分配金いくらくれるのさ?)が全て。基準価額が下がった?そのうち戻るまで待つよ。それよか分配金が下がらないかなあ、そっちの方が心配。

なぬ?分配金を150円から100円に引き下げるだと!だらしない運用会社だなあ。もうこの商品見切りをつけて、全額売却して買い換えよう。

高い分配金を出す投信はどれかな。探してよ。教えてよ。お、書店のマネー雑誌コーナーに分配金ランキングを特集した雑誌があるじゃない。よしこれ買って、ここから選ぼう。

商品の目論見書や紹介記事をざっと読んだ。まあ仕組みなんかどうでもいいとまでは言わないけれど、おぼろげながらわかればいい。だいたい何に投資しているのか、通貨は何を選んでいるのか(ホントに意味わかっているのか不明)その辺がわかればよい。

商品の資料を手にしたら、先ず見るのは分配金の頻度と金額。あとは購入したあとゆっくり読んでおこう。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

上記は投資信託を買う人の脳内会話を勝手に空想したのものです。さすがに最低限でも基準価額の変動と分配金実績をあわせたトータル利回りをもとに商品選びをするくらいの視点があればまだよいですが。

なんだか、今回は当初、自分の中にある投資信託の印象をある程度総括する記事だけにしようと思いましたが、後半部分は毎月分配型投信の批判につながる釣り記事のような感じになってしまいました。でも、もし毎月分配型投信に思わぬメリットがあれば、是非知りたいという一面もちょっとは持ち合わせています。

(タイトルからして、もっと高尚な記事内容を期待された方がもしいらしたらお詫びいたします。所詮、素人が3年間保有した程度ですので、お許しくだされ)

【関連記事】

宗教信仰と現世利益

実績とはかくも説得力ある数値

2011年5月 5日 (木)

(続)アセット別にこれまでの利回りを振り返ってみる

(前回からの続きです)

資産運用全体だけでなく、アセット別のこれまでの運用利回りを見たところ、利益を稼ぎ出しているのは、もっぱらサテライトクラスの商品ばかりと判明しました。

それでは通常メインとされているアセットクラスはどうか。

*先進国株式は最近の好調を反映して3.8%とまずまずです。

*日本株式はトータルではなかなか黒字転化しません。損益の足を引っ張っているのは資産運用開始時からリーマンショックまでに積み立てしていた三菱UFJインデックスファンド225と、リーマンショックで大暴落前に購入した上場インデックスファンドトピックス(1308)の2商品です。日経平均が1~2日でも12,000円半ば迄回復したなら損益トントンになるので、即、売りたくてしょうがない2商品です。

*先進国債券は見る影もありません。もしこのアセットを全体の3割とかの水準で保有していたとしたら、もっとダメージは大きいです。私の場合、現在元本ベースでは先進国債券の比率は12%半ばです。先進国債券に対する見方(所詮、円安頼み)が変わらないかぎり、今後もゆっくりとウエイトを縮小していくことでしょう。

もし伝統的な4資産(日本株式、日本債券、先進国株式、先進国債券)均等で積み立て投資していた場合、どうなったでしょう。先進国株式と日本債券のまずまずのプラスが日本株式と先進国債券のマイナスで相殺されてしまい、全体では資産は3年間でほとんど増えないという展開に近かったのではないでしょうか?

それともうひとつ、上述の表はリスク資産全体(投信+ETF)ですが、そこからETFを除外したバージョンも算定してみました。以下のとおりです。

201105022


ETFを購入しているのは日本株式(1306、1308)と先進国株式(TOK)、新興国株式(EEM)の3アセットのみです。この3アセットについてETF分を除外してみると、なんとどれもETF除外版の方が成績がよいではありませんか。

とはいえ、これにはからくりがあり、1308は前述のとおりリーマンショックの前、その他の3商品はリーマンショックによる暴落の途中で、底値到達まえに購入したものばかりという事情があります。それでもTOKやEEMは現時点でも評価益を出していますが、円高が続いているため利益確定するのは非常に酌ですので、大きな資金需要な生じて、やむなく売却が必要な時までは放置しておくつもりです。

最後にひとつ

いまだ不安に思うのですが、もしリレー投資を行っていたら同じような結果が果たしてでたでしょうか?少額時にはインデックス投信積立→残高が貯まったらETFへリレー投資というのが巷で言われているインデックス投資の基本作戦ですが、このブログを始めた頃はこの作戦に疑問を持っていました。一応自分なりの解釈をつけたつもりですが、ETFを新規運用の対象としないWATANKO としては、その後の再々考もせず放置状態です。
それでも構わないと思いますが。

【関連記事】

ドルコストとリレー投資は矛盾している

(続)ドルコストとリレー投資は矛盾している

ドルコストとリレー投資の関係を再考

(続)ドルコストとリレー投資の関係を再考

あと、ついでにETFによる資産運用についてネガティブな考えを持っていることを取り上げた記事も紹介しておきます、これも上記同様、ブログ初期の駄文ですが。

【関連記事】

ETFは実は面倒くさくて悩ましい商品

(続)ETFは実は面倒くさくて悩ましい商品


今回のような結果をうけて、万年初心家個人投資家のWATANKOとして抱いた「投資信託」に対する印象について、次回述べたいと思います。

2011年5月 4日 (水)

アセット別にこれまでの利回りを振り返ってみる

先月の記事でブログを始めて1年間でのリスク資産全体の利回りの推移をみてきました。

【関連記事】

一年間の利回り推移を振り返ってみる

これを作ったのち、それではアセット別にみたらどうであったのかということに興味がわいてきたので、アセット別に今度はこれまでの運用期間全体からみた年間利回りを算定してみました。

7つのアセット別利回りの結果は以下のとおりです。

Notes)
◆金額単位は千円です。
◆評価損益は2011年4月末時点の実績です。
◆平均利回りは(12÷運用期間)÷評価損益)÷平均残高にて簡易算定しています。

201105021


WATANKOはネット証券による資産運用開始時に、既存銀行口座から直接引き落としができる野村ジョイ(当時ジョインべスト証券)をメインとして、それに加えて、そこでは品揃えしていないインデックス投信および海外ETFの購入用にサブとしてSBI証券に口座を開設しました。両社の開設手続きは同時に行ったのですが先方の事務手続きの都合により、日本株式アセット(SBI証券で積み立て開始)よりも先進国株式や先進国債券アセット(野村ジョイで積み立て開始)の方が積み立てスタートがやや遅れた結果となり運用期間にやや差異があります。

メインとなる日本株式、先進国株式、先進国債券アセットの積み立てがスタートしてしばらくして、そういえば

*新興国はどうするか(それまで信託報酬が高い商品しかなかったが、当時、STAMから比較的低廉なインデックス投信が発売開始となったことが刺激となる)

*REIT>現物持っているしなあ。でも少し買って様子見る?

*コモディティ>(商品群をみて)信託報酬高いのばかりだなあ

*そもそも日本債券は無視したままでいいのか(DLIBJとか結構いいかも...)

などなど迷いが頻出し、買ってみて損して(得して)みなけりゃ、こうしたアセットクラスに対する皮膚感覚も鍛えられないなあと思い、結局、コモディティを除くすべてのアセットクラスの各商品を、ペースはまちまちですが、それぞれの追加積み立て開始しました。

それが今現在、どのアセットクラスも大変良い成績をあげて、資産運用トータルの評価益のほとんどの部分を稼ぎ出している親孝行?なアセットクラスになっているじゃあありませんか!

ナンだよ、ナンだよ、損益は結局サテライト頼みかえ?

新興国クラス(これをサテライトというにはウェイトからして微妙か)は当然として、あ~REITクラスまで積み立てておいてよかったです。もっとも積立投資金額の縮小のために、REITクラスは今月から積み立て休止しますが、このままだと基準価額があがっているので、平均購入単価の引き上げ(=利益体質の劣化)につながるし、トータルポートフォリオの中に占めるウエイトも内外あわせて9%程度まで高まっているので、ここらで一休みがちょうどよいかもしれません(と自己流解釈)

(つづく)

2011年5月 2日 (月)

(続)2011年4月末運用状況

(前回からのつづきです)

前回の続きとして、ファンド・オブ・ファンズに関して、その構成するアセット別に評価額を切り分け、個別アセットの投信、ETFとあわせたアセット別のパイ・チャートは以下のとおりです。

201104303


さらに「わたしのインデックス」サイトを使って、当月末ポートフォリオをもとに期待リターン、リスク、シャープレシオを算定した結果は次のとおりです。(カッコ内は先月数値)

*期待リターン   5.6% (5.8%)
*リスク     16.4%(16.4%)
*シャープレシオ  0.34 (0.35)

それと今月から利回り実績も記載してみます。(カッコ内は先月数値)

*購入元本総額  44,624千円(43,924千円)
*評価損益      3,550千円(2,878千円)
*運用期間         38か月(37か月)
*平均残高     27,971千円(27,520千円)
*平均年間利回り     4.0%(3.4%)

<概況>

今月末の運用状況を調べてみると評価損益が、インデックス投資をはじめてこれまでの中で最高額(3,550千円)となりました。直近のリスク資産元本総額は44百万円半ばであり、これまで3年あまりとってきたリスクに対して、3,550千円が果たして見合う水準なのか。

それは個々人で受け止め方によって違うとは思いますが、上記で掲示するとおり年間平均利回り4%(税引き前)というのは、私からみればリーマンショックや東日本大震災、3年間のほとんどをしめる円高時期を考えればなかなか健闘したのではないかと思います。

しかしながらよく考えてみれば、私の場合、少しラッキーなところもあったのも事実です。積み立て投資から僅か?半年でリーマンショックにぶつかったわけであり、そこから後2年半強も回復にあてる期間があったため、こうした黒字を現時点で確保できています。同ショック後、もっと厳密にいえば2009年明けあたり以降から積み立て投資を始めた方なら評価益率はもっと高いでしょう。事実そういった方々の実績もブログなどで拝見しております。

また一方、2004年~2007年頃の株価絶好調+円安の頃に積み立て投資した方々の中には、ポートフォリオや投資額のペースにもよりますが、トータルではいまだ評価損を抱えている方もいると思われます。いましばらくの安い仕入れを継続し、相場反転を辛抱強く待たねばなりません。

ま、どんなケースの方であっても、早く円安がこないかなあ~と星空に願う今日この頃ではないでしょうか。(もちろん、円安さえなれば万々歳というわけではないですが)

私が円安でも円高でもない基準レートとして勝手に想定している105円/ドルなのですが、そこまで円安になるだけで、私の場合、海外アセットの評価額が暴騰するでしょう。その後のリスクを考えると一度利益確定してインデックス運用全体を仕切り直しするかもしれません。しかもそれが現在の譲渡税率10%の期間中であればなおさらです。

あ~そういう嬉しい悩みに直面してみたいものです。

2011年5月 1日 (日)

2011年4月末運用状況

インデックス投資を始めて3年と2か月経過しました。3月から4月にかけて震災だけでなく、仕事繁忙や体調悪化、大小の不動産トラブルなどが重なり少し疲れてしまいました。GWはしっかり休養と体力づくり(二律背反?)に努めたいとおもいます。

では4月末の運用状況です。

(Notes)
◆商品名は略称です。
◆各アセット毎に、購入順に並んでいます。
◆表中の金額単位は千円です。
◆ETFはこれまでの分配金込みの実績です。
◆海外ETFの円換算レートは81.52円/$です。
◆赤字は現在、積立中の商品です。
◆日本債券クラスへの投資はSBI資産設計オープン(すご6)とセゾン・グローバル・バランスファンドに含まれている部分のみです。
◆評価記号の内容は以下です。

◎:+15.0%~
○:+ 5.0%~+15.0%
△:+ 5.0%~▲ 5.0%
▲:▲ 5.0%~▲15.0%
×:▲15.5%~

201104301


さて、次に28本の保有商品を以下の3つのグループに分けてみました。

Aグループ:
現在積立中の商品+以前まで積み立てており、現在は積立中止だが、信託報酬は積立中の商品に次いで低いため、慌てて売らず保有継続している商品。(資産運用メイン)

Bグループ:
日本+先進国+新興国のETFを揃えたワールドワイド・パッケージ。これも当面保有継続してETFの動向をモニタリングする。ただし大きな資金需要が発生すれば、直ちに売却する方針。ETFの分配金はAグループの商品の購入資金にあてる。(海外ETFの分配金は為替動向によって円転のタイミングを図る)

Cグループ:
かつて積み立てていた商品で、より信託報酬が低い商品に積立先を切り替えたため、現在保有のみ。現時点では評価損を抱える商品ばかりで塩漬け中。評価益がでたら売却し、Aグループの購入資金に転用する方針。また評価損があってもA、Bグループの一部商品とセットで売却することもありえる。

201104302


(つづく)

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