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2012年3月14日 (水)

F1 2012シーズン開幕-不平等な競争は実社会と同じ

2012年のF1シーズンが今週末から始まります。今年から地上波放送がなくなりBS、CSのみとなってしまいましたが日本で観れるだけまだマシかもしれません。

WATANKOは70年代後半、不死鳥ニキ・ラウダと英国の自由人ジェームズ・ハントがチャンピオンを争っていたころからのF1ファンです。その後ブランクがありましたが、87年から日本でF1を放送するようになって少したってからまた観るようになりました。もう20年以上連続してレースシーズンを観ています。

自動車レースについて、米国と欧州ではその文化的背景をもとにして大きく異なる風土があります。米国でコンペティションというものは機会均等であるべきとの考えに基づき、チームやエンジン毎の実力差が出ないように規定される傾向があります。そういった規定下ではドライバーの実力のみが純粋に比較される展開が生まれやすいです。

それに対してF1は貴族社会である欧州を文化的土壌として始まったレースです。その社会では階級、クラスといったものが最初から存在し、ある者には最初から優位な立場、またある者には最初から劣位な立場にて同じコンペティションを行います。

もっと簡単にいえば米国ではマシンの性能差を抑えたレースを行う一方で、F1ではマシンの性能が大きく異なるチームが混在し、それが当たり前のように一緒にレースをします。

F1では当然ながらマシン性能、チーム体制が優れたトップクラスのチームはいつも優勝に絡むレースをしますが、そうでない下位のチームはたとえ10年間レースに出場してもおそらく1度も優勝できないでしょう。

F1ではドライバーの実力が純粋に比較される以前にこうしたチームごとの実力差が歴然として存在します。下位のチームのドライバーは実はトップクラスチームのドライバーとそれほど実力差がないかもしれないにもかかわらず、良い結果をだすことは難しいです。

スポーツとは本来イコールコンディションの中で、本当の人間の実力だけでコンペティションされるべきものですが、F1はそれが甚だしく差があるコンディッション下でレースをしなければなりません。

よってもってF1というスポーツは歪んでいないか?不公平ではないか?とう見方もあるやもしれません。

しかしながら翻ってみれば、F1に限らずスポーツというのは一見、公平な競争に見えますが、実のところはなべて競技者が完全にイコールコンディション下で行われることはなく、皆試合開始の前に、ある程度の差がついているものです。資金力であったり、練習環境であったり、優秀なスタッフ、マネジャーの有無であったりなどです。

ひろく言えばスポーツとはどれも大なり小なり不平等なコンディションのもとで行われる人間の競技であります。

そしてこれは実社会でも同様です。機会均等は建前論としてあるけれど、実態は様々な不平等な環境下で人間は争わなければなりません。

そのような現実下であってもそれぞれの会社、団体、グループ、地域社会など各フィールドにおいて劣位な環境下にありながら相対的に良い結果、ときには優位な環境下にある相手を凌ぐ素晴らしい結果を出す人もいます。

F1の中にあっても同様であり、ある時突然変異のようにキラリと光るドライバーが現れます。それらドライバーは中位~下位のチームで走りながら入賞を重ねたり、時にはトップチームのドライバーを食ってみたりします。

甚だしくコンディションが違うスポーツであるF1だからこそ、一層それが光ってみえるわけです。

「あんなチームのマシンに乗っているのになぜこんな高い順位でフィニッシュするんだ」と評判になり、トップチームのマネジャーが「ウチで走らせたらどんだけ速いんか」と興味を示し、その結果、そのドライバーにとってトップチームへの道が開けてきます。

不平等なコンディション下であってもキラリと光るドライバーの活躍を、そして過去そうやってトップチームのシートを手に入れた至高のドライバー達のレースを今年も観る季節がやってきました。

なにせ2012年は過去12年間のワールドチャンピオン6名がチャンピオンを争います。ギャング4(80年代中盤、ネルソン、アラン、ナイジェル、アイルトンのトップドライバー4人をさした言葉)ならぬギャング6(セブ、フェルナンド、ルイス、JB、マイケル、そしてキミ!)というところでしょうか(個人的にはマイケルは除外したい気分だけど)

(余談です)

ロンドンオリンピックの男子マラソンの選考において、不利な練習環境下にもかかわらず素晴らしい結果をだしてきた藤原選手、川内選手。

彼らがこれからも本当に良い結果を出し続けていきたい、その確率を少しでも高めたいと考えるなら、これまでの実績をもとにもっと良い練習環境を得る努力をすべきと思います。誤解を恐れずにいえば、決して恵まれた環境下とは言えない彼らの努力の裏にはある種の悲壮感すら漂います。JOCも日本選手が「世界で勝ちにいく」ためにはどんなサポートが必要か、よくよく考えてほしいものです。

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