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2012年8月20日 (月)

マイカー回顧録その3 トヨタ マークⅡ(X80)

自動車テーマとして月一ペースでWATANKO家のマイカーについての思い出を取り上げています。当時の世相やその車から学んだことなどにもふれたいと思います。

第3回目は前回とりあげたコロナマークⅡの後釜として我が家にやってきた車です。でも、またまたマークⅡなんですが...。

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■あの当時

時代はバブル。新車の国内年間販売台数は600万台を超え(現在は400万台前半)国内各社も拡大路線をひた走りでした。マークⅡは当時トヨタの看板車種のひとつであり、販売チャンネル違いの姉妹車チェイサー、クレスタとあわせて月間4万台と売れに売れまくっていました。(現在の最量販車種プリウスは1万台余り)

80年代後半は日本においては車があこがれの耐久消費財であった最後の時代かもしれません。この時代に免許を取得し、車を乗り始めることができたWATANKOはカーマニアとしては幸せでした。

■プロファイル

前回説明同様、クラウンとコロナの間に位置するアッパーミドルクラスの4ドアセダン。4ドアセダンと4ドアハードトップの2種。先代(X70)が大ヒットしたことを受けてX80はキープコンセプトながら角を丸めたデザインとなり流麗なスタイルでした。エンジンは1.8Lから3Lまでと幅広いラインナップ。4ハードトップは当然ながら国内専用です。

■インプレッション

WATANKO家に来たのは1989年式の3.0グランデGというグレードでした。この時代のマークⅡは従来2Lターボが最上級グレードだったのですが、バブル指向で3.0Lモデルが追加設定されたところを我が家でお買い上げとなった次第です。前のマークⅡがロワーグレードだったのに比べて一気に装備充実でエンジンもパワフルです。

乗り込んでみるとシート表皮の手触りが抜群、インパネの材質感やスイッチに使われていたプラスチックの品質感も申し分なし。さすがトヨタ、目立つところ(運転席周り)は金をかけているなあと商売上手に感心しきり。一方で走りはいたって普通。直進は良いけれどコーナーでは相変わらずフニャフニャ感たっぷり。タイヤが小さく感じ、上物(ボディ)の重さからくるイナーシャばかり目立ちました。

■カーライフ

このX80マークⅡを父はたいそう気に入り、自宅の敷地内に自分でブロックを積んで専用の車庫を作ってしまいました。WATANKOが大学4年~社会人2年目あたりの頃、家族3人で数ヵ月に一度泊りがけで遠出したものです。乗鞍岳や佐渡ヶ島に行った記憶があります。また父は県内又は隣県の寺社仏閣めぐりが好きで友人を乗せてあちこち出動していたようです。カーナビが無い時代であり、WATANKOも渋滞回避の裏道を教わることがありました。

参照サイトはこちらです。

■うんちく

80年代~90年前半にかけては4ドアハードトップというカッコ優先で3BOX4ドア車としては矛盾に満ちたボディスタイルが流行っていました。

全高1,300mm前後であり、運転席に座ってみると座ると頭が天井とくっつきそうでまともに座れない高さ。

後部座席は座面が水平ではなく、背面にいくにしたがい沈み込むように傾斜しており、かつ背面の角度も寝ています。従い後部座席はまるで穴ぐらに乗りこむような閉鎖感がありました。リアウインドも角度が寝ており、後部座席に座る人の頭に直射日光があたる始末。

サイドはピラーレスで側面衝突に対して大いなる不安あり。メーカーもさすがにこれでは不味いとおもったかピラードモデルも発売していましたが。

このようにセダンであって3BOX4ドア車の本質を大きく損なった4ドアハードトップではありましたが、概観の流麗さでスマートに見えたため人気があり、当時は一定の販売シェアを占めていました。

エンスーの間では狭くて歪んだ室内空間と出来の悪いシートと相まって「日本車ダメダメ論」がとおっていました。一方で優れた室内パッケージ+シートをもつ輸入車はやはり素晴らしいと定評と得ていたわけです。

その後90年代半ばには室内空間が広いミニバンの隆盛と、衝突安全性の向上要求(マーケティング上「安全」が重要視されるようになった)に影響をうけるかたちで4ドアハードトップは死滅し、3BOX4ドア車の室内空間は矯正され健全になりました。しかしながらミニバン隆盛の影響は甚大であり、日本国内で販売される3BOX4ドア車自体が絶滅危惧種になりかけるところまで追い込まれています。

今後3BOX4ドアが生き残る道としては、キャビンと荷室が分けられるパッケージを活かしてプレミアム路線として売り出すしかないと思います。既にメルセデスベンツやBMWなどドイツ車が実践していますが。

■あとがきにかえて

生活にゆとりができ、着飾ってカメラを持ち、友人を連れ立って、ピカピカの国産アッパーミドルサルーンで週末度に出かける。WATANKOの父にとってこのマークⅡと過ごした7年間、約80,000kmは人生最上のカーライフでした。

しかし終わりは突然にやってきます。1996年頃、路上で他車と衝突事故を起こしマークⅡはあえなく全損となってしまいました。当時既に70歳を超えていた父はこれ以降、体が弱まり、コロナプレミオ(これまた事故で全損)、プラッツ(次車購入時に下取りへ)と乗り継いだものの5年後には自動車の運転ができなくなってしまいました。

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コメント

こんばんは。最近叔父の車に乗せてもらいましたが、それがX80 マークツーでした。後席は、天井に頭がつかえてしまう最悪の居住性でしたが、プロポーションは端正だと思います。
また、リアサスペンションはすごく凝った作りだと思いました。
A型アッパーアームに、前後2分割のロアアーム+トレーリングアームで、見ていてすごく面白かったです。

(名無し)さん

コメントありがとうございます。

いまどき乗る機会があったとは珍しいですね。

X80が現役の頃はバブル期でマークⅡ、チェイサー、クレスタで月販合計5万台以上を売っていましたから本当によくみかけたものです。

しかしながら4ドア・ハードトップなので、ご指摘のとおり、居住性とくに後席は褒められたものではありませんでしたね。

ありがとうございます。
大切に乗っているらしく、異音もしないし乗り味もよかったです。
いろんな車に乗れると、楽しいですね。

(名無し)さん

>いろんな車に乗れると、楽しいですね。

まったくです。ただしドライバーズカーに限りますが。

ところで、貴殿は別のコメントの名無しさんと同一の方ですか?

できれば、名前つけて投稿いただけると、判別がつくのですが。

ありがとうございます。
新型NSXとマークツーの記事のコメントは、両方わたしです。

NSXとX80さん


ご返事ありがとうございました。

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