御奉射の直会で味わった田舎の味
WATANKOは生まれ育った街に今もなお住んでいます。正確に言えば大学、就職、結婚、長男の就学までの間離れていたのですが、35歳になって戻ってきて以降現在に至っています。この街には昔からの年初の地元行事である御奉射(おびしゃ)という豊穣と健康を祝う行事があります。詳しくは省きますが、この行事の幹事は隣組ごとに担当しますので10組あれば10年ごとに1回、幹事がまわってきます。
今年はその10年に1度の幹事がWATANKOが属する隣組にまわってくる年でした。地元の公民館を会場として、祭壇の設営、関係者の招待、供物の調達、当日の来客が参加しての直会(おもてなし)準備と結構やることがあり、WATANKOの隣組メンバーは男だけでなく、それぞれの奥方も何名か準備に駆り出されます。
このように祭壇を整えて、神様に豊穣と健康を祈願します。
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さて当日の来客に振る舞われる酒肴ですが、仕出し弁当のほかに隣組の奥方による手作りの惣菜がいくつか作られました。といってもしゃれたものではなく、ほうれん草のお浸し、キンピラごぼうと里芋の煮物、白菜や大根のお新香、醤油味のすまし汁などです。手伝いに来てくれた奥方も50歳以上の年配層であり、田舎の祭事向けなので献立としてはミートしています。
しかしこれら献立は田舎行事向けだけでなく、WATANKOにとってもなつかしの味としても正にミートしていました。40~30年前頃に亡き母がよく作って食卓にあがっていた惣菜と同種であったからです。これらはWATANKOが就職して母の元を離れて以降、久しく食べていなかったものばかりです。WATANKOは中学生から高校生になると、このような田舎臭いメニューを嫌って自分で洋風の料理や惣菜をつくって食べたりしたことも頻繁にありました。さらには実家を出てから以降はこれら惣菜を食べる機会そのものがほとんど無くなりました。したがってこのような田舎の惣菜はすっかり忘れていた味でした。
これらは母も亡くなり永遠に失われた惣菜かとおもいきや、ひょんなところで食べる機会をうけてちょっとした感動でした。母のつくっていた惣菜は同じ隣組の奥方もまた得意とするところです。油脂類の調味料は使いません。醤油、砂糖、みりん、塩、酒で味付けされたものばばかりのこれら惣菜は、見事すべて統一された味付けの世界をつくりあげています。
WATANKOはこれらを食べるとたちまちのうちに、懐かしい味の記憶が怒涛のごとく脳裏によみがえり猛烈なデジャヴュ、目を閉じれば子供の頃の食卓の前にタイムスリップした気持ちにすらなりました。
そしてこれらの懐かしい惣菜を肴にあおる酒のなんと美味いことか。ほうれん草はいくらでも胃袋に流れ込み、お新香に伸びる箸は止まりません。締めにいただくお赤飯もあずき色と米粒のなんと鮮やかなことか。仕出し弁当にはほとんど手を付けずにもっぱら田舎の惣菜ばかり食べていました。
すっかり上機嫌になったWATANKOは御奉射の直会のあと、隣組の同年代の仲間たちと一緒に裏方の打ち上げ会と称して、まだお天道様の高いうちから飲みにくりだしていきました。
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最近、高齢者が自炊をしなくなったというニュースを聞きます。一人暮らしをする方も増え、つくるのが面倒くさくなったり、コンビニやスーパーで惣菜や弁当を手軽に調達できたり宅配サービスが増えてきたりという環境の変化が原因と言われます。しかしWATANKOはたとえ一人暮らしになっても手作りの惣菜が食卓にならぶ生活を送りたいですね。コストはあまりかからないし、時間は十分にあります。ボケ防止にもいいかもしれません。油脂類を使わないこれら惣菜は、塩加減にさえ気をつければ健康面でもプラスです。
老後の生活の一場面を想像する良い機会となりました。
「これこれ、これですよ。俺に似合っているのは...」とひとり悦に入る老後の食卓。
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