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2014年5月 1日 (木)

アイルトン・セナが亡くなって20年が経った

毎年このシーズンになると、書店のモータースポーツコーナーには、F1ドライバーのアイルトン・セナをフューチャーした雑誌や特集本が並んでいます。なぜなら20年前の5月1日のF1サンマリノGPにて当時のF1トップドライバーであったアイルトン・セナが事故死したからです。そのためこの時期にセナを偲び、追悼の意もこめた出版物がでるのはF1出版界の年中行事になっています。店頭にセナ本が並ぶと「ああ今年も彼の命日が近づいてきたか」とオールドファンは思い出します。

70年代からF1を観ているWATANKOですが、やはり時代を通してベストのF1ドライバーを選べと言われれば、他の多くのF1ジャーナリストやファンと同じようにセナを選ぶでしょう。

TVを通してですが、私もセナの走りを直にみていた者の一人として、彼のレースと、レースへの取り組み、そしてその生き方に感嘆と憧れを強く感じていました。

ヨーロッパ社会にやって来たブラジリアン・レーサー

1981年、フォーミュラ・レーシングというヨーロッパのソサエティに新興国ブラジルから海を渡って乗り込んできた21歳のブラジリアン。彼は当時、ヨーロピアンが多くを占めているレースの世界で注目すべき速さを見せつけます。その自分が育っていた社会とは全く異なる社会へ殴り込みぶりは日本人にも通じるカタルシスでありました。日本人にわかりやすい例をあげれば大リーグに渡った野茂英雄のようでしょうか。

セナはイギリスF3でシーズンチャンピオンを獲ると、F2(当時)を飛び越して1984年にF1デビューします。そこでトップクラスのNo.2ドライバーよりも、中堅以下チームのNo.1ドライバーとしてF1デビューしたセナは、周囲を驚かすべき速さを度々、見せつけます。なにせ操るマシンの実力はけっして高くはないわけですから、それにもかかわらず良い結果がでればそれはもうセナの才能というほかありません。

セナ=最速ドライバーの称号

デビューの翌年以降、順調にトップチームへと移籍を続け、デビューから5年後にマクラーレン・ホンダを駆って初のワールド・チャンピオンに輝きます。確かにマシンの競争力が非常に高かったですが、同じマシンに乗る当時のトップドライバー、アラン・プロストを打ち負かしての優勝ですから、その実力の凄さがわかるというものです。

なにせセナの速さの特徴をあげるとすれば、

◇予選の一発の速さをもつ。タイムアウトぎりぎりでコースにでて最後にスーパーラップを叩き出して、今日の予選もまたポールポジション。

◇決勝のスタート・ダッシュが上手く、またレース中の競り合いにも絶対に譲らない。(それゆに他のドライバーとトラブルになることもしばしば)

◇超テクニカルコースのモナコが特異なテクニシャンタイプ。モナコ・マイスター。モナコ6勝の記録はいまだ誰にも破られず。

◇一方で高速サーキットといわれるベルギーのスパ・フランコルシャンや鈴鹿でもこれまためっぽう速い。

◇さらには雨が降ったらこれまた手が付けられない程速く、誰も追いつけない。雨が振った時点でセナの勝ちが決まる。

というようにどこをとっても速く、テクニカルな欠点がないドライバーでした。

参考記事:
Yahoo!Japan知恵袋
アイルトン・セナVSシューマッハでは、どちらが速いですか??

アラン・プロストとの物語

セナのF1キャリアを語る上で欠かせないのがアラン・プロストです。自動車レース発祥の地フランスを代表する同国初のF1チャンピオン。ニキ・ラウダからクレバーな走りを学び取り、相撲でいえば心技体そろった当時ベスト・オブ・ベストドライバーでした。

セナにとってヨーロッパ社会を名実ともに代表する実力をもつこのドライバーが、自己を高めるうえでの最高のライバルでした。(セナの元気の源はプロストと思えるくらい、二人の関係はあらゆる意味で濃密でした。)レースに勝つのはこの二人しかありえないというくらい、二人の優勝争いのレベルは高く、誰も到達できませんでした。

当時チームスポンサーをしていた昭和シェル石油の宣伝ポスターに書かれた短いコピーが今でも忘れられません。

『プロストか、セナか』


セナの生き方に憧れた

セナの生き方は、他のだれにも到達できない人生の100%をレースに捧げた生き方でした。純度100%のF1ドライバーです。素晴らしい才能をもった人間が、だれよりも努力をして素晴らしい感動と結果を残すわけです。決してあきらめない。針の穴のようなわずかなチャンスを掴み、モノにする。そんな彼の走りを何度もみてきました。

そう、サッカーの言葉を借りるとすれば、アイルトン・セナはまさにF1界における最高のファンタジスタでした。

彼のような生き方に憧れ、とても羨ましく思います。たとえ感動や結果が残らなくとも、自分も何かに100%捧げた人生を送ることができたら、その前には人生の長さや物質的な豊かさはさして重要ではないかもしれません。

人生の折り返しを過ぎたWATANKOですが、残りの人生で彼のような生き方をいっときでも実現させたいとひそかに思っています。

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