イベントの企画・運営は大変だけど楽しい!と思えるうちにやめておこう
●学生時代はサークルの合宿にはじまりインカレで開催するシンポジウムや講演会
●企業に勤めるようになってからは社内の横断的な会議体、関係会社を集めたイベント、顧客向けマス・プロモーション等
●さらには社外では異業種交流や資格を活かした自主的なコンサルティング活動の集まり
●ごくプライベートなところでは地元仲間が集まる交流会など
WATANAKOは年食っているだけあってか、これまで各種イベントのとりまとめを沢山やってきました。(そのせいか社内外から割と「仕切り屋」なイメージで見られることが多いです。)
色々なイベントの事務局、仕切り屋としてその裏方、栄枯盛衰を見てきた、やってきた側としては、イベントにもライフサイクルがあることがわかります。
【黎明期】
いままでにないコンセプト、趣旨のイベントを企画、運営する。開催側にとってはクリエイターとしての面白みやワクワク感、ゼロから成し遂げる達成感を体験できる。周囲からは潜在的なニーズに応えたこと、パイオニアとチャレンジ精神に対する称賛が送られる。
【発展期】
黎明期のイベントに対してこれをもっと充実・発展させようといろいろな追加企画やアイデア・工夫が取り込まれる。関わる人も増えて利害と調整ごとも増える。周辺からは口出しをする人もでてくる。その結果、イベントを開催する側の手間も時間も金もどんどんかかるようになる。でもまだイベントの創造性と達成感>手間・時間・お金なので、開催側にとって膨張するイベントをやりきるモチベーションは保たれる。
【成熟期(あるいは衰退期)】
イベントがある程度の回数を経てくると以前から変化も少なくなり、新鮮味が乏しくなる。変化のための変化、開催すること自体が目的化する。常連メンバーだけのムラ社会化する。あげくの果てにイベントはただの惰性、やっつけ、ノルマになる。
最後にはアイデアかマンパワーか予算か、またはそれら全てが尽きたところでそのイベントは寿命を終えていく。
企業等が一定のお金とマンパワーを継続的に投入する基盤が備わっているイベントならばともかく、特に特定個人の自主的な集まりによるイベントはこうしたライフサイクルにさらされることが多いでしょう。
個々人の属人的な行動力の集合体だけでもって毎回、創意工夫にあふれたイベントを安定的に運営していくことは大変です。
そこで大事なのは引き際です。イベントが成熟期に入ってからもヘトヘトになって継続するよりも、発展期のどこかで一度イベントを見直し、将来の新しい企画のための余力を残して一度解散することは、衰退ではなく再出発の種です。
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