老後の生活、住まいさえ確保できればなんとかなるか
(老後の生活、お金が無くてもなんとかなるさ、でしょうか。)
WATANKOは兄弟がいない一人っ子でしたので、その分、近所に住んでいた何人かの従兄弟と小さいころからよく遊んでいました。そんな過去もあるので現在もときたま会っては呑みに行き、昔話に花を咲かせながら和気あいあいと童心に帰って盛り上がります。
先日も地元の個室がある居酒屋で集まって呑んだわけですが、その時ばかりはいつも違ってとあるテーマについての意見交換でした。そのテーマとは自分達の親以外に存在する子供がいない叔父叔母の介護問題含めた終末期の対応です。
叔父叔母夫婦の“その時の処理”に備えて、残った者たちの間で事前協議を行うそれはさながらヤルタ会談のようでありました。叔父叔母夫婦の最後の面倒は高齢になった兄妹(我々の親)だけでは限界があります。我々従兄弟達も子供の頃にはその叔父叔母には大分かわいがってもらってきており、座視もできません。とはいえ意見交換で明らかになったのは、やはり叔父叔母夫婦の終末の処理の押し付け合いという様相でありました。
そして叔父叔母夫婦にないものは子供だけではありませんでした。
そう、この夫婦にはお金が無かったのです。
どれくらいお金が無いかというと、わずかな年金を頼りに月あたりおよそ5万円程度の生活費で暮らしているという水準なのです。不意に医療費がかかるようであればもうまったく生活ができない状態です。そのうえ数年前には数十万円のローン(原因は生活費や遊興費)も抱えていた模様でした。
厳しくいえば、老後の生活を考えず、「なんとかなるさ」という意識でもって貯蓄を続けてこなかった典型的な夫婦のいきつく姿がそこにはありました。共働きの収入が長年あったこと、夫婦とも60歳を超えても勤務先では熟練者の不足によって5年~10年程度働き続けることができたこと。また子どもがいなかったため、家計的にも身軽であったことが老後の生活に対する無策に拍車をかけたかもしれません。
しかしそんな叔父叔母夫婦にとって幸いなことがひとつだけありました。住居費がほとんどかからないということです。
この夫婦は、いろいろ経緯があってWATANKOの父が生前に建てたバス・トイレ付の2Kの住宅に住んでいます。いろいろ経緯があって固定資産税も自分たちで負担していません。
住居にかかわるコストの心配さえなければ、あとはどうにか切り詰めることによって暮らしていけるわけです。食事など白米と味噌汁、納豆でも食べられるだけ幸せというものですし、衣類もこれまでのストックがたくさんあり、下着類を必要最低限の買い足すくらいです。娯楽や憩いもTVと飼い犬がいれば十分なようです。
生活はぎりぎりですが、はたからみて悲壮感があまりなく、限られた生活費の範囲内でほのぼのと暮らしています。彼らにとっては住まいを追い出される心配もなく、あとは日々をつつましく静かに過ごしているだけというわけです。
WATANKOの近隣にはこの叔父叔母夫婦だけでなく、同様の暮らし方をしていると思われる老夫婦がほかにも散見されています。
(つづく)
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