ジェンソン・バトン、ニコ・ロズベルク、F1チャンピオン・ドライバー2人の印象的な引退
現在のF1ドライバーで最も速くかつ強いドライバーといえばルイス・ハミルトン、セバスチャン・ベッテル、あと加えるとすればフェルナンド・アロンソでしょう。さらに彼らのひとつ前の時代であれば、多くのF1ファンはミハエル・シューマッハー、そしてキミ・ライコネンの名前を挙げることでしょう。
それでは毎年F1ワールドチャンピオンを獲得するのは、上記にあげたトップ・オブ・トップドライバーで全て占められているというとそうではありません。
毎レース勝てる、毎年チャンピオンを狙えるトップ・オブ・トップドライバー以外でも、巡ってきたチャンスを逃すことなく、これを活かしてワールド・チャンピオンになったドライバーもいます。
■ジェンソン・バトン、悔いなきF1ドライバーキャリア
20歳という異例の若さ、しかもトップチームのウィリアムズからデビューしたこの英国紳士は、ホンダ・エンジンを載せたマシンも合計8シーズンのドライブ・キャリアがあり、日系モデルの道端ジェシカとの交際もあって日本人にも比較的よく知られたF1ドライバーです。
さてF1デビューした若手の注目ドライバーの中で、チャンピンに輝く者の道程あげるとすればおおよそ次のとおりではないでしょうか。
先ず中堅チームでデビュー後、チームの実力を超えた速さ、そして結果(←ここ大事)をたたき出し、それが認められてトップチームに移籍する。引き続き結果を出し続け、ほどなくあれよと言う間に頂点に到達してしまいます。ミハエル・シューマッハー、フェルナンド・アロンソ、セバスチャン・ベッテル、皆同様です。ルイス・ハミルトンにいたってはデビュー当初からトップチームです。
世界のトップドライバーが集まるF1の世界ですが、その中でさらにトップを獲るドライバーというのは速さだけではない、勝てる、そして頂点に立てる“何か”才能のようなものを持っているのかもしません。
翻ってジェンソン・バトンですが、デビュー年は注目されたものの、その翌年から2年はベネトン/ルノーで不遇をかこいます。またBARホンダで初優勝を飾りますが、ホンダ・エンジン時代でマシンに恵まれたのはほんの2シーズンです。所属したチームの不運もありましたが、上述のチャンピオン・ドライバー達とは異なり、頂点に立てる“何か”までも持ち合わせたドライバーとは思えませんでした。「速いマシンとチャンスに恵まれればたまに優勝する」程度のトップドライバーでした。
(一応バトンの名誉のために補足しておきますが、それでも彼が出走したシーズンでは常にトップ10に名前をあげても違和感がないグレート・ドライバーであることは間違いありません。)
さらには2008年のホンダ撤退によって、個人に払下げされたお通夜のようなチームで翌年走らなければならない時、彼の周囲は悲壮感で一杯でした。
ところが翌2009年シーズン、ホンダが開発して払下げたマシンの戦闘力が他のトップ・チームを圧倒します。バトンもこの絶好のシーズンを逃すことなく、前半線で勝利数とポイントを積み重ね、後半戦は追いすがるチームメイトとのポイント差を慎重にコントロールしてワールド・チャンピオンを獲得しました。
よもやのチャンピオン獲得によってバトンのF1ドライバーとしての価値は一瞬にして最高となり、その「売り時」のタイミングを逃さずに毎年恒常的に勝利を狙えるトップチームのマクラーレンに移籍します。その後はワールド・チャンピオンの後光のもとに安定的に結果を残し、たまに優勝すれば「やはりチャンピオン・ドライバーであるバトンは頼りになる。」と評されてマクラーレンに7年もとどまることができました。
バトンは決して毎年、頂点を狙えるドライバーではありませんでしたが、上述のとおり唯一訪れた2009年のチャンスを確実にものにした以降は、チャンピオンの肩書をフル活用して、トップチームのドライバーとして充実したF1キャリアを得られました。
さながらデビュー以後パッとしない時期が続くも、たった1曲のミリオンヒットをきっかけにハクがついた演歌歌手がその後も長く、人気歌手として活躍し続けたようなものでした。
■ワールド・チャンピオンに輝き、満たされたニコ・ロズベルク
バトンと同様なトップドライバーとしてもう一人、2016年のF1ワールド・チャンピオンであるニコ・ロズベルクも取り上げておきましょう。
1982年のF1ワールドチャンピオンのケケ・ロズベルクを父にもつ彼もまたバトン同様、2006年に20歳の若さでF1デビューしました。その後5年目の2010年にメルセデスに移籍します。
ここで同チームが実力をつけてトップ・チームとなっていく過程に歩調を合わせるがごとくロズベルクも初優勝を達成、そしてチャンピオンを狙えるマシンを手に入れました。
しかしここでチームメイトになったのは天才肌のチャンピオン・ドライバーであるルイス・ハミルトン。2014年、2015年と2年連続でロズベルクはハミルトンとチャンピオンを争い、破れました。ロズベルクも相当に速いですが、やはりチームメイトは強敵すぎました。
かつてレッドブルにおいて、十分に速く、勝てるドライバーであったにもかかわらず、チームメイトのセバスチャン・ベッテルに負け続け、事実上のNo.2ドライバーになりさがってしまったマーク・ウェバーのように、ロズベルクもなってしまうのか。2年連続でハミルトンに負け続けたロズベルクにとって2016年は崖っぷちでした。
ところが2016年にはロズベルクにとって過去3カ年で最大のチャンスとなったシーズンでした。ロズベルクは序盤4連勝する一方でハミルトンはトラブルでリタイアも続きます。シーズン中盤でロズベルクはハミルトンにポイントで逆転されますが、その後再度逆転。シーズン終盤のハミルトンは5連勝して怒涛の追い上げを見せるも、ロズベルクは無理をして自滅することなく、ハミルトンに喰い下がり、シーズン序盤に築いたリードを保ち続けて初戴冠となりました。
バトンと同様に、彼にとってワールド・チャンピオンに初めて輝いた今この瞬間が、F1ドライバーのキャリアとしての頂点であり、最も褒め称えられる存在でありましょう。
ただしロズベルクがバトンと異なるのは、チャンピオンを獲得して自分のF1ドライバーとしての市場価値が最高の状態にあるにもかかわらず、バトンと同じようにその価値を活かしてF1のトップチームで走り続ける道を選ばなかったということです。
ロズベルクはチャンピオンを達成して、F1ドライバーとしてひとつの充足感に満たされてしまったのかもしれません。それでなくとも彼は既にF1を11シーズンも走っており、F1ドライバーとして十分なキャリアを築いてきました。来年以降5、6シーズンを走り続け衰えが見えてきたところで引退するよりも、チャンピオンをとった今この最高の瞬間に身を引くことで、彼のF1ドライバーとしてのキャリアは今後も色褪せることなく語られることでしょう。
彼は引退の理由として家族との時間を過ごすことをあげています。それにしばらくすればまた別のレースカテゴリーでドライバーとして新しいキャリアを築き始めるかもしれません。
F1だけがレースの世界ではない、人生の全てではない。頂点に立ったF1ドライバーが若いうちに、別のキャリアを歩み始めるという生き方。ロズベルクの電撃的な引退から、F1ドライバーの多様性をWATANKOはまたひとつ垣間見ました。
■まとめ
ジェンソン・バトン、ニコ・ロズベルク。二人のF1ドライバーに共通していることは、頂点に立てるたった1度かもしれないチャンスに出くわした時に、これを逃さず掴みどり目標を実現させたことです。
バトンはそれを自身の以降のF1キャリアに最大限活かしました。一方でロズベルクは十分な充足を得てF1を去りました。
彼らのようなトップ・アスリートでなく我々凡人であっても、人生において何度か(あるいはたった1度かもしれない)大いなるチャンスに恵まれることがあるかもしれません。
そのようなチャンスを逃さず掴み取ることができれば、それ以外の局面で多少のヘタを打ったとしても、十分に幸せな人生かもしれません。
F1ドライバーとして光り輝くひと時を手に入れたジェンソン・バトン、そしてニコ・ロズベルク。それぞれたった一度のチャンピオンであったとしても、それは素晴らしく光り輝く印象的なレース人生であったとして、振り返るに値するでしょう。
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