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2017年6月 7日 (水)

父が遺した最後の賃貸契約の終焉②-経営会社の破綻と次の担い手

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(前回からの続きです。)

WATANKOが新社会人になった1991年に、父は土地区画整理事業の結果、新たに手に入れたロードサイドの土地を使いイタリアンレストランを始めました。背後には新興住宅街があり、目立つ競合店もなく、また地方都市ではもの珍しかったため、当初はとても繁盛しました。

しかしこうした順風満帆な時期は10年と続きませんでした。

■経営会社の破綻

父が賃貸契約した飲食業経営会社E社によるイタリアンレストランの運営自体は目立ったトラブルはありませんでした。問題が生じたのはE社そのものの方です。

このE社は中小規模のオーナー企業です。それ自体は特段珍しいことではありませんでしたが、色々と店舗拡大に手を出して借入金が嵩んできたところへきて、いくつかの店舗で失敗し損失を発生させたため、会社の資金繰りに窮するようになりました。その根本にはE社の社長の放漫経営がありました。残念ながら父のビジネスパートナーを見る目が甘かったと言うほかありません。

やがてほどなくE社は金融機関と取引停止になってしまいます。するとE社の社長は知り合いから借金を重ねたり、自分が保有する営業権や債権を、関係者に断りもなく色々なところに勝手に売りさばくなどして資金を得るという状態に陥りました。

そのうちE社に対する債権者の中には、ほどなくE社に見切りをつけ、その債権を第三者へ売り渡す者が出てきました。不味い事にはその売り渡し先には、現在でいうところの反社会的勢力も含まれており、こういった勢力からE社は追い回される始末となります。

やがてE社は経営破綻となり、社長は雲隠れをしてしまいました。

それでは父のイタリアンレストランはどうなったかというと、E社の社長が雲隠れする直前に父とWATANKOのところにやってきて、「お店の経営を同業他社に譲渡したので、以降はそちらと契約を継続して欲しい。」と告げて去っていきました。

その時につれてきたのが、以降現在まで賃貸契約を続けているJ社でした。J社はE社にいくらかの対価を払ってレストランの経営権を買った模様です。

J社は父の店舗がある県とその隣県にてラーメン、とんかつ、回転寿司、カラオケ、焼肉と多様な飲食業種を合計数十店経営する地方企業であり、E社同様オーナー企業です。

E社は経営破綻しましたが、父のレストランはその寸前でJ社に、その運営が引き取られて、営業を継続することができました。

ちょうどこの頃から、WATANKOは父からこの店舗のオーナーとしての管理を実質的に継承しました。

■新しい経営会社とのやりとりの日々

こうしてお店はJ社に引き継がれたのですが、その運営は決して順調とは言い難く、色々な出来事がありました。WATANKOの店舗ならびにJ社におきた主要なエピソードだけでもあげてみるとざっと次のとおりです。

▼J社が営業を引き継いでほどなくして、E社への債権を手に入れた反社会的勢力のひとつが店舗の商標権絡みで因縁をつけてきました。その結果、解決策として店の名前を変更する羽目となりました。

▼2002年に道路交通法が改正され、飲酒運転についての罰則が強化されると、お店での酒類の売上が激減します。このあおりをうけてJ社の社長に懇願され店舗の賃料を引き下げることになりました。

▼J社は2000年後半には株式上場を狙いとして、事業展開を加速させていきますが、急な店舗拡大に対して、各店の運営を任せられる人材の供給が追いつかない状態となります。こうしてJ社の経営は水ぶくれとなり、社長の目が行き届かなくなり、店舗のあちこちでトラブルが頻発するようになりました。

▼WATANKOの店舗も近隣にイタリアンレストランの競合店がオープンするほか、様々な飲食店が出来上がってくると競争が激しくなり、売上はどんどん落ちていきます。このあおりをくらい賃料を再び下げざるをえない事態となりました。

▼J社は店舗の売上回復のためにWATANKOの店舗をイタリアンレストランから焼肉レストランへと変更、さらにカニ料理店に再変更、その後また焼肉レストランに戻す等、迷走を続けてきました。なおこれらの変更はほぼJ社の独断で行われましたが、WATANKOは賃料を支払ってくれれば大きな口出しはせず、見守ってきました。

以上、どれもがブログ記事になりそうなネタばかりのエピソードです。

さらに事態は動きます。

▼2011年に東日本大震災が起こると、J社の店舗もいくつかのダメージを受けて、閉店に追い込まれました。また売上も激減し資金繰りに窮するようになり、J社は多くの店舗オーナーに対して賃料の支払い遅延を引き起こしました。WATANKOの店も同様に遅延被害を被りました。

WATANKOは本業のサラリーマン業で手一杯でしたので、この賃料遅延を契機に、地元にて取引があった不動産業者と管理委託契約を結んで、いくらかの管理手数料を支払うことによって、こうしたトラブル対処を含めた以降の対応を任せることにしました。

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今覚えば、これがJ社との契約終了の遠因のひとつでありました。

(つづく)

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コメント

ドラマチックですねえ、続きが気になります。

たんちんさん

コメントありがとうございます。

専業のたんちんさんにくらぶれば、全く拙い賃貸業ゆえに残念なドラマありです。

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