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2017年6月 5日 (月)

父が遺した最後の賃貸契約の終焉①-父が開いたお店

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(美味しかったあのパスタよ、もう一度)

WATANKOは首都圏にて働く一介のサラリーマンでありますが、同時に半ば家業ともいえる不動産賃貸業を営んでおります。

今から18年前の2000年頃から、年老いた父に代わり実家が営む不動産賃貸業を徐々に引き継ぎました。それは当時、実家とは離れたところに住むWATANKOにとっては少なからず時間的な負担となりました。この不動産賃貸業を引き継いだことが、のちにWATANKOが実家がある地方都市に転居することになった原因の一つでもあります。

さてWATANKOは父からこの家業を引き継いでから、いくつかの物件について様々な事情により賃貸契約を終了させてきました。その一方で毎年貯めてきた賃料を原資として、数年おきに数千万円単位の新規の不動産投資を行い、新たな賃料収入を獲得してきました。このブログでもそういった過去の不動産投資のエピソードや、体験したトラブルをもとにした記事をこれまでいくつか綴ってきました。

こうして不動産物件のスクラップ&ビルドを繰り返してきた結果、いまや所有する物件は1件を残してWATANKO自身が築きあげてきたものばかりになりました。

今回は、その残る1件について、ついに賃貸契約が終了し、新しい賃貸物件として生まれ変わるという話です。

■土地区画整理事業が進展した時代

時に1980年代。

WATANKOの父は、生業である農業を将来廃業することを視野にいれて保有する田畑を別の用途に再活用することに取り組んでいました。

おりしも当時のWATANKOの実家があった地方都市は、中心市街地から離れた郊外地域の開発がどんどん進められていました。

具体的には、田畑や山林を所有する地権者の中で隣地の者たちが集まり、共同で区画整理組合を興して、皆が所有する田畑の再開発を進めたわけです。土木工事を行い切り土あるいは盛り土によって土地の高低差をなくして整地します。幹線道路を拡幅し、ライフラインを引いて街区を割り当てます。整備された土地は新しい区分けに基づき、一部は工事代金含めた事業費の支払いのために売却され、残りは元の地権者達に分配されていきます。地権者は所有地が元のデコボコな地形から、きちんと整地された平坦な土地へと換地されます。ある地権者はそれを売却する、また別の地権者は事業用地として賃貸に供していきます。

こうした土地区画整理事業は街のあちこちで行われていました。

今回とりあげる物件がある地域もそうした土地区画整理事業のひとつとして進められた土地開発の一つになります。平行する2つの大きな幹線道路に挟まれた土地の間にバイパス道路を設け、その周辺が土木工事の結果、整地され低層の住宅街と商業区へと開発されたわけです。

その土地は新たな地名がつけられ(類似のケースではよく「○○○台」「△△△が丘」などとつけられることが多いです。)中央道路沿いには商業店舗が立ち並び、その背後にはたくさんの分譲、賃貸の住居物件が建てられました。さらには学校が誘致されたり、病院が建てられたりしてきています。

ここまでくるとかつてのどかであった田畑の風景は一変し、活気とと賑わいがあふれた街並が出来上がりました。

■イタリアンレストランのオープン

さて今回の地域の元々の地権者の一人であるWATANKOの父には、土地区画整理事業の結果、幹線道路沿いの一区画が新しい所有土地として割り当てされました。そこに父は1991年に飲食店舗を建てて、飲食業を営むE社に賃貸することにしました。

ちょうどその頃、WATANKOは大学を卒業して新社会人になりました。飲食店舗の建設にあたって父は資金借り入れを行い、WATANKOが連帯保証人になった(させられた!)記憶が今でもあります。

お店を借り受けてE社はイタリアンレストランをオープンさせました。店内は天井が高く、店内にはピザを焼く窯が設置され、外国人の料理人を雇うなど当時、地方都市のイタリアンレストランとしてはお洒落で本格的な仕立てでありました。

すぐ背後にはたくさんの家々が立ち並び、また競合店が皆無であったため、このイタリアンレストランはとても繁盛していました。

WATANKOの記憶では、お店のオープン当初、父は知り合いを頻繁に呼んで飲食していたようです。WATANKOは離れて暮らしていたせいか、あまり訪れることはありませんでしたが、色々なルートからその繁盛ぶりが伝わってきており、父が多額の借り入れまで行って開始した飲食店舗がヒットしたことに安堵したものです。(なにせ連帯保証人でしたから。)

しかしこうした順風満帆でいられた時期は10年と続きませんでした。

(つづく)

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