届かなかった褒章
(亡くなった後でも、きっとどこかで見守っている。)
WATANKOの亡き母は8人兄弟姉妹でしたので、WATANKOからみると、いわゆる母方の従兄弟がたくさんいます。大半の従兄弟とは疎遠な間柄でありましたが、そんな中にあって同じ市内に住んでいる、とある従兄弟のNさんとは比較的交流がありました。
Nさんは、従兄弟といっても15歳も年上です。その昔、WATANKOが大学生だったころ、Nさんの子どもの勉強を見る機会があったりしましたが、WATANKOが成人になってからは、冠婚葬祭の時に会って会話するのがもっぱらでした。
Nさんは地元の消防署に長年務め、特に年配になってからは後進を指導する役職につき、大層慕われたそうです。そして長年の努力が認められてこの秋の叙勲では、褒章をもらうに至りました。
褒章はとても名誉なことです。WATANKOは賞状を拝見させてもらいました。しかしその褒章はNさんに直接届くことはなかったのです。
なぜなら褒章が届く直前に、Nさんは急病で亡くなっていたからです。
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Nさんは地元の消防署で若い頃は救急隊員として勤め、後年は指導者として活躍していました。また長男として自分の祖父母と両親の合計4人の面倒を最後まで見続け、一方で結婚して二人の娘を育てあげました。
63歳になってようやく仕事を完全にリタイアし、二人の娘の子ども達、4人の孫に囲まれながら、奥さんとようやく悠々自適な老後生活を始めました。週末になると孫を含めた娘家族と、あちらこちらに食事に出かける話から、Nさんの幸せな老後生活の様子がうかがえました。
WATANKOは妻から以前より「Nさんて、従兄弟の中でも特にあなたによく似ているわ。外見もなんとなく似ているけど、それ以上に中味というかキャラクターが似ていて、すごく親和する感じ。」と何度か言われていました。
それはWATANKOも同様に感じており、Nさんとは他人な気がしませんでした。(実際にも血のつながりはあるのですが。)まるでNさんは、ちょうどWATANKOの15年先を生きている、アナザーWATANKOのような存在でありました。
ですからNさんの急な逝去がとても他人事に思えませんでした。まるで自分の15年後を予言されたかのようです。
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Nさんは社会のために働き続け、家族の面倒を見続け、やっと自分自身が自由に過ごせる時間をおくる時がやってきたというのに、あっという間に亡くなってしまいました。
働き続けていた頃とて、公私ともに充実した日々を送っていたかもしれませんが、それでもやはりリタイア後に残された時間のあまりの短さが悔やまれます。
もしもWATANKOがリタイアした後も、Nさんが元気であったならば、改めて交流する機会をもうけることもあったかもしれません。
Nさんは急病によって65歳という年齢で亡くなってしまいました。自分自身でもよもやこれほどに早く世を去らねばならないとは想像だにしなかったでしょう。
褒章をもらうようになるまで働き続けるのではなく、早くリタイアして家族との時間をたくさん過ごした方がよかったのかもしれません。
人生の終焉がいつになるか、それをはるか前からわかりえる人はいません。WATANKOは、アナザーWATANKOともいえるNさんの逝去を目の当たりにして、自分は一体いつまで生き続けられるのか。ひょっとして早死にする人生であるならば定年まで働き続けて後悔しないのか。と答えの出ない問答を心の中で繰り返すのでした。
献杯。
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コメント
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人生50年、それを超えるとレッドゾーンにはいりますから。私は56歳ですが65歳で死んだ父を考えるとのおっているのは多くない時間です。かといって即止めたい気持ちもありませんが、なるようになるんでしょう。
投稿: たんちん | 2017年11月18日 (土) 16時19分
たんちんさん
コメントありがとうございます。
おっしゃっているところ、よくわかります。
投稿: WATANKO | 2017年11月18日 (土) 17時18分
リタイア後でないと自分の好きなように過ごせない、という考えがそもそも間違っているのではないでしょうか?
働きながらでも、幸せを見つけることはできるはずです。
そのような生き方を模索していきたいと思っています。
投稿: | 2017年12月 3日 (日) 09時33分
(名無しさん)
コメントありがとうございます。
WATANKOの場合、長距離通勤で平日夜は時間が取れず、週末も仕事が入る日があるし、土日2日休めても家事・雑用で1日分は潰れます。よって好きなように過ごせる時間がとても限られており、全然足りません。この辺りの事情を上の記事でもっとしっかり書けばよかったです。
働きながらでの幸せ追求は、できる範囲で目指していますが、物理的な制約の上では十分には満たされないと考えています。
投稿: WATANKO | 2017年12月 3日 (日) 13時06分