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2018年10月25日 (木)

預金残高10万円-1990年代後半の辛い時代

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(お金がありません)

2018年秋は10年前に起きたリーマンショックを振り返る記事を書く個人投資家ブロガー達にとってセンチメントな時節であります。

中でも相互リンクさせていただいていますインデックス投資日記@川崎のkenzさんは、勤務先のリストラ話を詳しく取り上げており、リアリティ満載であります。

参照記事

インデックス投資日記@川崎
10年前のリーマン・ショック当時の世界同時株安の体験その1

さてリーマンショックは100年に一度と言われるくらいの大不況でしたが、そこまで大規模ならずとも?過去の経済不況はなにもリーマンショックだけではありませんでした。

そこで今回は日本で1997〜1998年頃に起きた経済不況の頃、WATANKOが体験した勤務先のリストラの記憶をとりあげてみます。

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時に西暦1998年

アジアでは前年にタイ発の通貨危機が発生、当年では日本では金融危機が起こり、証券会社、そして絶対に潰れないと言われていた銀行がいくつか経営破綻しました。金融機関の中小企業に対する「貸し渋り」が流行語になるなど金融業界は低迷の時期にありました。

WATANKOが働く勤務先は、主たる顧客である海外からの発注が減る中、1994年頃から生じた円高の影響により国際競争力が急速に低下、新興国の競合先に仕事を奪われる展開が続きました。その結果、業績が一気に悪化、経営陣は入れ替え、金融機関からの支援を受けるなどの事態に陥りました。

そしてリストラが始まります。全社員!を対象に早期退職制度が導入され、その一方で主に中高年を対象に戦力外通告、肩たたきが行われた結果、社員は大幅に減りました。

そのあとに残った社員にとっても給与・賞与は大幅カットされ悲惨な状態が始まりました。

WATANKOの周りでも転職先紹介会社のリストが出回っていたり、残った社員達もこの沈みゆく泥舟に残っていて良いものか、いつ破綻するのかと疑心暗鬼な中で仕事をする日々です。誰かが辞めると「ああ、あいつも会社に見切りを付けたか」とよく思ったものです。

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さて当時のWATANKO自身はどのような状況であったか。

結婚して数年が経ち妻と幼い長男の3人暮らしであり、将来かかるであろう教育費や住宅の購入に向けて貯蓄をしていかなければならない状況でした。いわゆる若夫婦の「貯め時」にあたりました。

そこへ給与・賞与の大幅カットが直撃したのですからひとたまりもありません。

加えて間の悪いことに、1994年~1996年に所有していたマイカーのシトロエンXMが札付きの不良モデルであり、故障が頻発して修理費が嵩みすぎた結果、貯金がかなり減ってしまいました。

当時のWATANKO若夫婦にとってのお金はフローが細くなり、ストックも激減する状態です。

将来に向けた天引きの財形貯蓄で年間1,000千円程度を貯めることはなんとか続けられましたが、残ったお金での生活はなかなか大変でした。毎月通帳残高とにらめっこをする有様です。

ワースト記録としては預金残高が100千円を切る時もありました。

家計は当然ながら節約が続きます。妻が地元の激安スーパーで買ってくるのは3丁100円の豆腐です。週末は当時住んでいた県内にある大きな公園に幼い長男を連れて行くなどお金をかけない余暇の過ごし方が続きました。

幸いなことにまだ社宅が残っており、住居費は比較的安価に抑えることができました。家電など耐久消費財は結婚当初に色々と揃えたので当面は買い替えが不要でした。

やがて2000年代の半ばにさしかかると勤務先の業績は回復に向かい、給与カットはなくなり、賞与の支給額も徐々に上がっていきました。

一方で家計の節約は継続していましたので、銀行の預金残高はみるみる増えていきました。

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あの頃のリストラ、そして家計が苦しい状態であれば、とてもリスク金融商品による投資などはする気にはなれなかったでしょう。

20年前に信託報酬0.109%(税抜)の超低コストで、世界の先進国22か国に分散投資できるeMAXIS Slim先進国株式インデックスが設定されていたとしても、たとえ1万円でもあっても購入する気にはなれなかったでしょう。

投資は余裕資金で行うことが鉄則ですが、家計がとてもきつかった当時のWATANKOにとっての余裕資金はゼロ、そしてリスク許容量もまたゼロでありました。

遠い20年前の出来事であります。

(あとがきにかえて)

この後に徐々に認知症にかかった父に代わって実家の不動産賃貸業を手掛け始め、さらに数年後にはインデックス投資を始め、現在に至ります。

もしもタイムマシンがあったなら20年前の自分に資金援助をしてあげたいという気もおきますが、一方であの頃の節約の経験がその後、収入が増えても浪費しない家計を形づくる土台となっていたので、今となってはとても良い経験でありました。


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