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2019年2月24日 (日)

(続)コンビニを人生のビークルにした人たちの選択-父の愛はコンビニを残す

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(前回からの続きです。)

前回、コンビニを出店したWATANKOの高校の同級生の一連の顛末を記事にしました。それは「コンビニ経営は何かと大変」という通説のエビデンスとなったひとつの事例であります。

この他にもWATANKOの周囲には同級生の事例程詳しくは知りませんが、同様にコンビニの経営に苦しんでいる話をチラホラ聞きます。

しかし一方で、それではコンビニを経営するほとんど全ての人が苦境の中にいる人たちばかりなのでしょうか。コンビニとはオーナーをただ蝕むだけでの存在なのでしょうか。

今回はWATANKOが知り得たもうひとつの詳しい事例を紹介します。

■偉丈夫な紳士

WATANKOの母は大正生まれです。かの時代は家族の中に沢山の兄弟姉妹がいたものです。WATANKOの母もまた同様で、本人は8人兄弟姉妹の長女でした。母は沢山いる兄弟姉妹の中で末っ子の四男とは特に親しく、その四男はしばしばWATANKO家を訪ねてきていたことをWATANKOは幼い頃からよく覚えています。

その四男はWATANKOからみれば母方の叔父にあたります。WATANKOがみたその叔父、河田さん(仮名)の印象は色が黒くて体が逞しく、元気みなぎるオジサンでありました。

まさに「偉丈夫」という言葉がピッタリ合う人です。さらに逞しさだけでなく知性や礼儀も垣間見える紳士な人でありました。

WATANKOはその後家を出てからは河田さんと会う機会はほとんどなくなりましたが、両親が亡くなり家督をついで以降、母方の冠婚葬祭(といってもほとんどが葬儀か法事です。)で再びよく顔を合わせるようになりました。

会えば母の思い出話を含めて昔話を聞いたりするのですが、やがて河田さんの家庭の事情を聞く機会もポツリポツリとありました。以下はその内容です。

■定年後のコンビニ出店

河田さんは学校の卒業後に教師となり、最後には校長先生まで勤めました。教師という職業の中では十分に出世した方でありましょう。道理で彼からは知性と礼儀が漂ってきたわけです。

8人兄弟姉妹の末っ子だった彼は跡継ぎの男がいない家系の家に婿養子として入りました。家制度が風習として残る50~60年前の田舎ではよくあることです。

彼は奥さんとの間に4人の息子ができました。彼からは家族6人で海外旅行に行った思い出話などをよく聞かされており、そこからはひとりひとりをとても大事に育ててきた様子がうかがえました。

やがて1990年代に入り河田さんは定年を迎えると、彼が第二の人生として選んだのはコンビニエンスストアの経営でした。国道沿いに面した自宅の敷地内は十分なスペースが残っており、そこにコンビニ店舗を建てて商売を始めたというわけです。

河田さんが住む街は田舎であり、1990年代に入っても国道を挟んで両脇は畑が広がるという風景です。そんな中にあって彼がフランチャイズ契約したコンビニは大手に次ぐ中堅クラスで当時の商品力はそこそこでしたが、出店した途端にとても繁盛したそうです。

なにせ周辺には何もない田園エリアにて、食品含めた日常品が揃っている店は地元の人々が渇望していたようです。あまりの繁盛ぶりに、これに目をつけられて強盗に入られるなどの被害も早速おきたとのことでした。

まさにブルーオーシャンな出店でありましたが、良い時期が永遠に続くはずもありません。やがて年月が経ってくると河田さんの店の繁盛ぶりに目を付けた競合の大手コンビニチェーンがオーナーを募り、彼の店から1~2km圏内にどんどん出店してきました。

その結果、河田さんの店の売上は減少の一途をたどることになります。

■河田さんのコンビニの事情

河田さんのコンビニの運営にあたっては本人と奥さんだけでなく、4人の息子たちのうち、長男と次男が手伝っていました。出店当初はアルバイトも結構雇っていたのですが、売上減少に伴い、その数を減らしており、2000年代に入ってからは必要最低限に絞り込んでいた模様です。

つまりは家族4人がメインとなり交代制でコンビニを経営しているわけです。これが人件費を抑えて店舗を運営できる強みとなっており、売上が減少する中にあってもコンビニを続けることができる要因となりました。

実際のところ、河田さんの店を含めた近隣のコンビニとの競合状況においては一人勝ちするところはなく、お互いがそこそこの集客、売上を確保している状態でした。

そうなると人件費を抑えることができる河田さんの店と異なり、アルバイトの人件費に苦しむ他店の中には閉店するところも出てきました。やがては各店とも均衡状態を保っている様相となりました。

ここで河田さんの4人の息子たちについてちょっと触れます。

河田さんの4人の息子はいずれもWATANKOより少し年下ばかりであり、このうち三男と四男はサラリーマンとなり実家を出て、家庭を持ち独立した暮らしを送っています。

とくに三男は幼いころに河田さんによく旅行につれていってもらったことがきっかけで旅行好きになり、旅行代理店に就職しました。河田さんがWATANKOにこの話をするときの彼の嬉しそうな顔は今でも忘れられません。

しかし長男と次男は学校卒業後に一旦は就職するもうまくいかず、二人とも勤め先を辞めて実家に引きこもってしまいました。そこで河田さんは二人にコンビニの経営を手伝わせています。

WATANKOが40歳を過ぎた長男、次男に実際に会ってみると会話どころか挨拶一つできない引きこもりな二人でした。それでも長年コンビニで働いてきたためか、店頭での接客はそこそこできています。まあこれも河田さんの教育があってこその結果でしょう。

■子ども達のためにコンビニを残す

さて2010年代にはいると河田さんも寄る年波には勝てず、体調が段々とすぐれなくなってきます。やがて奥さんに先立たれ、自身もその数年後に病気を患ってしまいます。

偉丈夫であった河田さんの身体は盆暮れに会うたびに段々と痩せこけていきます。それでも彼はコンビニの仕事を引退することなく通院を続けながら働き続けましたが、ある年の冬、とうとう力尽きてこの世を去りました。

WATANKOは河田さんの葬儀に参列したのですが、そこで式を取り仕切っていたのは実家で河田さんと一緒に暮らしていた長男、次男ではなく、離れて暮らしていた四男でありました。WATANKOからみれば長男、次男とも一切なにもせず(できず)ただただオロオロするばかりでありました。

WATANKOは「最後まで君たちのことを心配していたお父さんの葬儀なのだから、せめて集まってくれた人たちにお礼の挨拶まわりくらいはやらんかい!!」と心の中でイラっとしながらその様子を眺めていました。

河田さんは息子達をとても大事に育ててきました。しかしあえてWATANKOから厳しいことを言わせてもらえれば、その愛情は息子達を甘やかし、自立を損なわせてしまった一面があったかもしれません。

いい大人になっても父親の世話にならないと生きていけない息子達・・・。でも河田さんはそれもまた自分の責任と感じて、自分がいなくなっても長男と次男がなんとか暮らしていける手段を考えていたのではないでしょうか。

そこで河田さんは自分の老後のためだけでなく、他所で働くことが難しくなってしまった長男と次男のために、コンビニを始めたことがうかがえます。

自宅のすぐ隣に店舗があり、仕事はマニュアルに基づき決められていることをこなせばよい。兄弟が交代で店番をすることで長時間労働もある程度緩和できます。専従者給与や各種保険をはじめ様々な出費を経費とすることで税金負担も軽減できます。食費に事欠けば最悪、廃棄弁当を食べてでも飢えをしのげます。

コンビニという強固な小売業システム、これを守っていけばある必要最低限な家計生活を送ることができるわけです。

河田さんは自分がいなくなった後、長男と次男の生活の糧となる仕組みとしてコンビニを選んだのでした。

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やがて河田さんが亡くなって1年後に一周忌が執り行われました。

WATANKOが出席するとそこでは1年前とはうってかわって一周忌を取り仕切り、挨拶も立派にこなす長男、次男の姿がありました。

「河田さん、あなたの子ども達は貴方が亡くなった跡を無事継いで、徐々に自立への一歩を踏み出しているようです。」

WATANKOは仏壇に飾られた河田さんの写真を前に手をあわせつつ、彼に安堵の気持ちを伝えるのでした。

河田さんが残したコンビニを長男と次男がいつまで運営していけるのかはわかりませんが、一日でも長く続けてもらいたいものです。

■コンビニは人生のビークル

前回記事から述べている通り、コンビニの経営は決して楽な仕事ではありません。

▼集客は立地の良し悪しでほとんど決まってしまいます。

▼たとえ繁盛してもオーナーの手元に残る利益は限られています。

▼アルバイトが雇えなければオーナーは長時間労働を強いらて心身の健康を害します。

▼接客上や近隣とのトラブルも時には起こりえます。

前回の記事では酒店専業のリスクの回避策として始めたコンビニですが、その経営の負担が大きくボロボロになり切ってしまう前に方針転換した事例を紹介しました。

また今回はコンビニとは経営は大変だけれども、他に生活の糧がない人にとっては頼れる小売業システムである点にスポットを当てました。

街中にあふれているコンビニ。

WATANKOは例えば同じチェーン店であっても店舗ごとに繁盛しているかそうでないかを観察しつつ、その裏に透けて見えそうなオーナーのコンビニ人生を想像しながら買い物を済ませるのでした。

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