コンビニを人生のビークルにした人たちの選択
(コンビニ経営は大変です。)
脱サラ後の生計の建て方あるいは自営業の商売変えの選択肢のひとつとしてコンビニエンスストアが挙げられます。
コンビニエンスストアのオーナーは、大手コンビニチェーンのフランチャイジーとして、有名なブランド、売れ筋の商品の供給、効果的な販売管理システムを強みに、自己資金または借入金によって店舗を建て、自らがオーナー(又は兼従業員)となって最先端で利便性の高い小売業業態を運営します。
しかしその実態はチェーン本部に支払うロイヤリティの負担が大きい、商品仕入れやキャンペーンにおいて様々な協力を強いられる、収益面からみて人をたくさん雇えないのでオーナーが長時間労働せざるを得ないといった事態に直面するという過酷な話が以前から伝えられています。
先日も24時間営業を続けることができなくなったコンビニ店のオーナーが話題となりました。
参照記事
2月20日付 Yahoo!JAPAN ニュース
「もう限界…」自主的に24時間営業をやめたコンビニ店オーナーの判断に波紋
上記記事にて取り上げられているオーナーに関しては、苦境に陥るに至る特有の事情があったことの他に、別の記事によるとオーナーの素行についての問題を指摘する声も出ています。
記事内容の件では、オーナーとコンビニ本部とのどちらに非が多いのかはさておき、WATANKOはコンビニのオーナーがいかにきつい職業であるかということを久しぶりに思い出しました。
というのも以前、高校の同級生がコンビニを経営していたからです。
■酒店をコンビニに変更して出店
WATANKOは地方都市の公立高校に通っていましたが、そこで親しかった同級生の一人、石田君(仮名)は高校卒業後に大学を経て、酒屋にて数年間修行を積んだのち、20代後半でコンビニのオーナーとなりました。
もともと石田君の実家は隣街で長年、農機具販売兼酒店を経営しており、彼の母親が店を切り盛りしていました。親の影響があったからか石田君自身も酒店の商売をやりたい意向があり、他店で修業したのち、地元で店を開く運びとなったわけです。
石田君としては、こだわりの日本酒とワインを中心とした個性的な品ぞろえの酒店を当初目論んでいました。
しかし彼の母親は当時、酒の販売は競争を制限する規制が徐々に撤廃され、その結果、将来は競争が激化することを見越していました。そこで石田君が先々も安泰して商売を続けるためには単純な酒店だけではリスクがあると判断し、出店についてはコンビニ業態を選ぶことを強く勧めました。
石田君は母親の提案に当初は難色を示しましたが、コンビニの店舗建築費用を含めた開業資金は彼の実家がスポンサーとなっているため拒絶もできず、「こだわりの日本酒やワインも置いてあるコンビニ」として出店することで折り合いを付けました。
こうして1990年代半ばに石田君のコンビニエンスストアのオーナーとしての人生がスタートしたわけです。
■一国一城の主
石田君のコンビニ出店の際には、新築した自宅兼店舗のお披露目にWATANKOを含めた友人達が招待されました。新興住宅街の中心近くで交通量が多い交差点という好立地、駐車場スペースが十分にとれる敷地内に二階建てが建てられました。
二階建ての一階はコンビニ、二階は居住用という造りで室内は広いです。通勤時間に囚われることにも無縁であり、彼のビジネス、プライベート両面の洋々とした今後の様子を当時ひしひしと感じたことを、WATANKOは今でも覚えています。
もちろんこれらの環境は、石田君自身であつらえることができた部分は限られており、彼の実家の資金と様々なツテによるものであることはいうまでもありません。
それであっても石田君はこの時点で一国一城の主なのです。
一方のWATANKOはしがない給与所得者。当時勤務先は業績低迷で給与は減少。持ち家もなく狭い社宅暮らし。実家は不動産をいくつか所有していますがどれも田畑であり、自営の農業に供しているにすぎませんでした。(WATANKOが不動産投資を自ら手掛ける以前の話です。)
WATANKOは当時、「30歳前にして、随分と差をつけられたな」という気持ちでした。
10年くらい経ったら、石田君とWATANKOとの間に経済的にはどれだけの開きが出てくるのだろうか、やはりサラリーマンは安定しているかもしれないけれど大儲けできる職業ではないないなあと漠然と思いました。
ところが10年どころか4~5年も経つと状況はWATANKOの予想から随分と外れてきたのです。
■コンビニ経営の誤算
石田君がコンビニを出店した当初、すぐ隣では大型商業施設の建設工事が始まりました。すると工事現場で働く職人達が大勢、彼のコンビニにやってきて弁当や飲み物、休憩中等に読む雑誌等を買ってくれました。おかげでコンビニの経営は順調な立ち上がりとなりました。
しかし大型商業施設が完成すると、職人達の来店はパッタリと途絶えます。さらに大型商業施設の出店に伴い周辺の交通量が増え、そこに目を付けたコンビ二他社が軒並み出店攻勢をかけてきました。
石田君が契約したコンビニチェーンは大手トップクラスのチェーンに比べるとマイナーであり、商品力は見劣りします。もともとこだわりの酒類をおくことが出来るという自由度が高い条件でフランチャイズ契約が締結できること、そしチェーン本部に支払うロイヤリティが比較的少ないことを条件に選んだチェーンでありました。
しかしそれは一方で、競争が激化してきた場合のサポートが大手に比べて期待できないことを意味します。石田君としてそこはこだわりの日本酒やワインを揃えることで商品の差別化をアピールする作戦でありました。
しかしたしかに日本酒とワインの品揃えは値段がリーズナブルであることも含めて十分に魅力的でありましたが、まだ十分な固定客を得るまでに至らず、コンビニの売上の補完役としては不十分でありました。
ビジネスの教科書に載っているSWOT分析でいえば、「機会」(工事現場の職人達)が無くなる一方で、「脅威」(大手の競合コンビニ)は増える。チェーンの商品力やサポートは相対的には「弱み」であり、「強み」として据えていたこわだりの日本酒やワインはいまだその魅力を十分に発揮できていませんでした。
コンビニに限らず小売業というのは商品の利幅は決まっているので、売上減少は即、死活問題であることはいうまでもありません。
■さらなる追い打ち
石田君のコンビニには売上減少だけでなく、内部的にも苦労を重ねていました。
石田君が契約していたコンビニチェーンの営業時間は7:00~24:00。コンビニだから仕方がないといえばそれまでですが、それにしても長時間に及びます。本来であればパート、アルバイトを雇って昼夜交代勤務のシフトを敷くべきところですが、売り上げが低迷している石田君の店の場合、パート、アルバイトを十分に雇うことができません。
したがって最後は石田君自身が長時間労働に従事することになります。彼はもっとも長いケースでは、朝7:00に店を開けて少したったあと、数時間の仮眠をとる以外は食事時を除いて24:00までずっと店頭に出っぱなしです。
さらには24:00に閉店したあともバックオフィスにこもって売上の集計、在庫の確認、商品の発注作業など翌日の営業に向けた準備作業が数時間続きます。そのあとにようやく就寝。数時間後にはまた開店時間となります。
これらを合わせると彼は一日のおよそ3分の2は働きづくめということになります。
またコンビニを日々営業していると販売上の様々なトラブルにも出くわします。例えば子どもが万引きすれば親の呼び出し、時には学校や警察への連絡沙汰となり余計な労力をとられるばかりです。
あげくの果ては石田君には当時、年下の彼女がいて半ば同棲していたのですが、石田君は費用面でパート、アルバイトが雇えない代わりに彼女に店を手伝わせていたのです。しかもただ働きです。これにはとうとう彼女も嫌気がさして石田君とケンカしたうえで出て行ってしまいました。
WATANKOは深夜閉店後に度々石田君と会いましたが、会うたびに彼は顔色が悪くなり、髪も髭も伸び放題。心身ともに疲れ果てている状態が続いていました。
WATANKOはバックオフィスにて石田君と期限切れの弁当やお菓子類をツマミにチビリチビリと酒を飲みながら、彼の愚痴を聞いたり店の売上UPの相談にのっていたりしていました。
彼はまだこのとき30代半ばでしたが、とてもこれからあと数十年もこのような働き方を続けることができないことは当人も周囲の者も十分に感じ取っていました。
■彼がたどり着いた選択
やがて石田君は母親とよくよく協議した結果、コンビニ本部とのフランチャイズ契約を解除することにしました。開店からおよそ10年での方針の大転換です。
1階の店舗を改装して3分の2はテナントエリアとして賃貸することにしました。当初は携帯ショップ、今は整体術のお店が入っています。さらに敷地の一部も賃貸しており、そこはヘアーサロンが建ちました。
こうして石田君は所有不動産の一部から賃貸収入を得ることで安定的な収入源を得つつ、後は残るスペースでこだわりの酒店を続けています。彼曰くここにきて長いこと続けてきた地道な宣伝活動が効いてきて酒類についてのリピート客がだいぶ増えた模様です。とくにワイン好きをあつめた定期的な試飲会か好評のようです。
石田君の現在の酒店の営業時間は10:00~20:00まで、週一日は定休日となっています。売上はアルバイトを雇える水準まではまだ達しておらず、彼がずっと店番をやっていますが、それでもコンビニを経営していたころに比べればだいぶ人間らしい働き方であります。彼はワインの試飲会で知り合い、親しくなった女性と結婚もしました。
WATANKOはそんな彼と時折、酒を酌み交わします。彼の酒店は相変わらず繁盛とはいいがたい状態ですが、それであってもこれからの商売について意見を交わします。
そんな時、石田君は「コンビニのどん底の経験をしたおかげで大抵のことに動じなくなったし、仕事量に関して自分の限界を知ることをできた。コンビニを経験すれば、それを比べてたいていの商売は苦にならない。そのような意味では若い時の貴重な経験だった。」と回想します。
石田君はやがて将来、実家の商売も継いでいくことになるでしょう。その時にはこれまでの経験を活かして頑張ってほしいものです。
(あとがきにかえて)
「コンビニのオーナーは長時間労働や売上・利益の確保が大変」という話は巷で聞きますが、WATANKOの身の周りでも実際にあった「コンビニはもうこりごり」という事例を今回紹介しました。
次回はもうひとつ異なった角度から見えたコンビニの事例を紹介します。
(つづく)
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コメント
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うちはサラリーマンなんでお金を自分で稼ぐ苦労はありませんが、コンビニなどのフランチャイズチェーンのオーナーの苦労は見聞きします。先日もワンコの散歩で役所の近くにコンビニが出来てました。うちの住んでる町の5キロ圏内に調べてみたらコンビニ28店舗、昨日ので29店舗目です。こんな田舎に建て過ぎじゃないかな?
投稿: くまさん | 2019年2月24日 (日) 09時06分
くまさん
コメントありがとうございます。
コンビニの商圏は2000人に1店舗と言われています。
人口10万人の街なら50店舗いけると計算になります。
またコンビニチェーンはターゲットにしたエリアでは集中的に出店を増やして面的に相手を圧倒するドミナント戦略を取りますから、同じチェーンがあちこちに建つ光景は珍しくありません。
投稿: WATANKO | 2019年2月24日 (日) 10時45分